半生を学校のために |
総連倉敷支部・江長沖分会顧問 嚴仁達さん 倉敷で暮らして約60年。土木工事に携わるかたわら、教育会のメンバーとして地元の朝鮮学校のために半生を捧げてきた。 「当時は悪い奴がたくさんいて、学校を守るために学父母たちが毎晩交代で見回りをしていた」 岡山朝鮮初中級学校の周りのブロック塀や木々は、当時の学父母が造ったり植えたりしたものだと誇らしげに話す。 貧しい同胞が多かったことから、学校運営に役立つと思えばどんなところへも赴いた。島根まで行ってトラック2台分のスイカを買い、それを広島県の福山で売ったこともあった。 最近は体の具合が悪くて学校に足を運ぶことも少ないが、体調がいい時には学校に行き、枝の剪定などを黙々と行っている。 自分の子どもや孫を、すべて朝鮮学校に送り卒業させたことが何よりの自慢だとほほ笑む。(松) [朝鮮新報 2009.8.24] |