〈朝鮮と日本の詩人-103-〉 吉塚勤治 |
民族の悲しみ、怒り、怨み込め 牛、豚のぞうもつ、/その心臓、肺臓、肝臓、胃袋、腸など、/さらにえたいの知れぬぞうもつのこまぎれを/ニンニクと朝鮮唐カラシにしたし、/熱い鉄炙の上で/じりじりと焼いて食う。 これが朝鮮名物の朝鮮料理トンチャン、/とびきりやすくカロリー満点のホルモン料理。/ビーフステーキなどの比ではない。/ましてそのこまぎれのひとつひとつは、/しみとおったニンニクと朝鮮唐カラシ。/しわくかたく噛めば噛むほど出る味は、/あくなき「日帝」の収奪のもと、/祖国なく生きぬいた植民地朝鮮の/民族の悲しみ、怨みがこもる。(1連7行略) そしていま日本の夕刊新聞には/洛東江の流れを紅に染める朝鮮の戦況ニュース、/その新聞記者まで志願した警察予備隊の記事、またかつての連合国の敵、ヒットラー、ムッソリーニ、東条が/そのひげむじゃな胸をたたくであろう、/「赤」追放の記事もでかでか。 おいらはもとより日本人、/残念ながらもう先まで朝鮮料理もトンチャンも/臭いニンニクも朝鮮唐カラシのひりひりした味も知らず、/ましてにがい蕁の根を噛むような植民地暮らしを知らなんだ。/だがこうしておいらもいま/トンチャンを食う、トンチャンを食う。(以下、最終連11行略) 1950年代初期の日本軍国主義復活の状況を反映した詩「トンチャン抒情」の部分である。解放後の食糧難の時期に在日同胞が食文化として根づかせた野性的な内臓料理をくわしく語ることで、朝鮮戦争の侵略的本質を、日本も参戦したことを示唆しつつ、あぶり出している。 詩人は「民族の悲しみ、怒り、怨みがこもる」辛い料理を味わうという詩行で、朝鮮人民への連帯意識を強烈に示している。 吉塚勤治は1909年に岡山で生まれ、旧制六高をへて京都大学英文科に進学した。在学中に治安維持法違反で検挙されたことがある。敗戦後「新日本文学会」に入って民主主義文学運動に参加した。詩集「あかまんまの歌」「鉛筆詩抄」「頑是ない歌」などを残した。(卞宰洙 文芸評論家) [朝鮮新報 2009.8.31] |