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北海道・岩内で初めて 金玉均の書軸見つかる

暗殺から115年 町の郷土館で特別展

金玉均の書(岩内町・辛応民さん所蔵)

 朝鮮開化派の指導者・金玉均の書が、北海道岩内町郷土館の「特別企画展」に展示されている。この書は岩内を訪れたときに、開拓使岩内古宇郡役所の初代郡長などを務めた旧会津藩家老の簗瀬真精と交遊し、贈ったものと考えられている。今年2月、真精から四代目にあたる辰之助氏(83)邸の蔵から発見され、同町に住む辛応民さん(64)に譲られた。岩内で金玉均の書が見つかったのは初めてということもあり、道内各地はもとより、東京、九州などからも多くの観覧者が詰めかけている。岩内町郷土館では予定を大幅に延長して11月23日まで公開する。

 近代朝鮮を代表する最大の政治家・金玉均は、甲申政変失敗後日本に亡命を余儀なくされた。しかし、明治政府は亡命生活10年に金を流罪人のようにとり扱った。彼には絶えず尾行と監視がつき、その言動は逐一、地元警察を通じて内務大臣に報告された。

 小笠原島を経て北海道に1年4カ月流配されたことはつとに知られている(1888年8月〜90年4月。その間、2度療養のため東京に滞在)。金玉均研究の第一人者で、昨年死去した研究者の琴秉洞氏の遺した大著・増補新版「金玉均と日本」(01年刊行、緑蔭書房)によって、小笠原、北海道での足跡が次第に明らかになってきた。

金玉均

 同書によれば、庶民らとの交流が主だった小笠原島とは異なり、「北海道では官界、政界、経済界の有力者たち」とのつきあいが中心であったという。これまで札幌、小樽、函館などでの行跡が明らかになっており、彼が遺したたくさんの書が発掘されている。

 今年2月、岩内の有力者宅で発見された7言絶句の金玉均の書軸も、「上流社会に少なからぬ刺激を与えたようである」と琴秉洞氏が推測していた北海道での亡命生活を裏づけるものである。

 金玉均の書軸には「昹鴻詩一絶応簗瀬君属 古筠 金玉均」との為書きがつけられている。「鴻をむる詩一絶を書し応を為す」という意。

 豈作々稲梁計
 秋南春北奈忙何
 只愛寒空如意濶
 在泥日少在雲多

 (豈々たる稲梁の計を作さんや秋は南に春は北にす、忙しきこと奈何、只寒空を愛しめば意濶たるが如く、泥日に在るは少なく雲に在ること多し)

 この書は朝鮮王朝時代末期の著名な詩人で思想家の姜瑋(1820年〜1884年)が詠んだ7言絶句、「道中聞雁有感」(道中雁を聞き感有り)を5文字変えて自らの亡命中の心境を綴った詩と思われる。姜瑋は1880年と82年の2度訪日しており、2度目の際には金玉均に随行した。姜瑋の詩は次の通り。

 豈為區區稲梁計
 秋来春去奈忙何
 只愛寒空如意濶
 在泥日少在雲多

 (豈区々たる稲梁の計を為さんや秋来たり春去る、忙しきこと奈何、只寒空を愛しめば意濶たるが如く、泥日に在るは少なく雲に在ること多し)=漢詩の読み下しは、歴史家の朴 鐘鳴氏。

 詩人はひらひらと空を飛ぶ雁の姿を仰ぎ見ながら、泥の中のような自身の人生を振り返ったのだろうか。自らの胸中をこの詩に託した金玉均の心境もまた、ここに投影されている。

 くしくも、今年は金玉均が暗殺されて115年。同館長は「近代の日朝関係にとって最重要人物の一人である金玉均の貴重な遺品が出品されたことは大変意義深い。暗殺を含めてすべてが解明されておらず、また日本の植民地支配の歴史、強制連行の事実など日朝関係には解決すべき問題が山積している。今回の展示がそれらを考える一助になればうれしい」と述べた。(朴日粉記者)

金玉均の書−会津藩元家老、岩内町名士との交流の跡

[朝鮮新報 2009.10.30]