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「花神」に見る!司馬遼太郎小説の問題点

「都合の悪い話には触れない」

 今年のNHKの大河ドラマ「天地人」は、11月に放映が終わり、その後の数回は「坂の上の雲」が放映されることになっている。このドラマは向こう三年にわたり放映されるというから、NHKの力の入れ方が尋常でないことがわかる。原作は司馬遼太郎の人気小説であるが、「明治の指導者、国民は良かった。戦前の昭和は本来の日本ではなかった」といういわゆる「司馬史観」が凝縮され、中塚明氏の著書「司馬遼太郎の歴史観」などで厳しく批判されている。

 司馬遼太郎の小説の主題は多岐にわたり、なかでも「竜馬がゆく」をはじめとする幕末維新期の小説がよく知られているが、そのなかに日本の近代兵制を確立し靖国神社に銅像が建立されている大村益次郎を描いた「花神」がある。歴史的人物を描く際に自身の調査内容や感想を書き加えるのが、彼の小説の特徴といえるが、とくに「花神」には多かった。大村益次郎がはじめて桂小五郎と面会した時、竹島(独島)のことを持ち出すのだが、次のような説明を加えている。

 「…この無人島が日本のものであるのか韓国のものであるのか帰属がはっきりせず、江戸初期、日韓外交の一課題としてしばしば揉め、明治38年やっと日本領となり、島根県隠岐郡に属したが、第二次世界大戦後、ふたたびややこしくなり、韓国が主権を主張し、いまなお両国の間で未解決の課題となっている」

 明治38年とは1905年で、「乙巳条約」が締結され朝鮮の外交権が奪われた年である。その歴史的背景をまったく無視して、独島に関する朝鮮側の記録には触れることなく、日本領となったとする記述はあまりにも一面的である。小説なので学術論文のように批判にさらされることなく一般の人たちに読まれていることを考えると、その影響は深刻である。

 また、「花神」では意外にも靖国神社についてまったく触れていなかった。いや、むしろ「戦前の昭和は本来の姿ではなかった」とする司馬遼太郎が、「栄光の明治」維新の立役者である大村益次郎の銅像がそこにあることを説明しない、あるいはできないのは当然のことかもしれない。「坂の上の雲」でも朝鮮の農民軍の蜂起や抗日闘争など、自身の史観に都合の悪い話には触れていない。

 自分の都合のいい事実だけを取り上げて、一方的な主張をたれ流すのは、現在の日本のマスコミの風潮であるが、さまざまな言説のなかから真実を見極める目が必要であるということをあらためて感じさせられた。(任正爀・朝鮮大学校理工学部教授)

[朝鮮新報 2009.10.30]