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〈朝鮮と日本の詩人-109-〉 高良留美子

「高句麗のやり方で」

 腰まで水につかって/女たちが布をさらしている/野生の苧麻の皮をはぎ/何日もかかって織り上げた/手づくりの綾絹を

 女たちの脚のあいだを/水が流れる/真白な布をなびかせて/多摩川の水が流れる/さらさらと さらさらと

 漁に行く若者が通りかかる/流れ去る水のせせらぎよりも/さらされる布の白さよりも/どうしてこの娘がこんなにも/たまらなく可愛いのか

 女たちが布をたたいている/川のほとりの 砧の上で/かれらのふるさと/高句麗の やり方で/はたはたと はたはたと

 水は流れ去る/女たちの脚のあいだを/そして布は奪い去られる/馬の背にゆられて/都というところへ

 布が娘たちをさらしている/流れつづける 多摩川の水で/豪族や朝廷にさし出す/たおやかな娘を/さらさらと さらさらと

 高良留美子の、「さらさら」「はたはた」という擬声語を効果的に用いた詩「多摩川」の全文である。各連が整然と5行を成していて、澄んだ川の流れのような清澄なリズムが、定型詩的抒情を醸している。そこには、異国にあっても故国の旧習を墨守する渡来人の懐郷の念がたなびいている。詩人は女たちのその思いを「高句麗の やり方で」と情愛こめて詩行にのせている。第3連の「流れ去る…」以下4行は万葉集巻十四にある「多摩川に曝す手作りさらさらに何そこの児のことだ愛しき」に由来している。この詩には、せっかくの布が「都」に「奪い去られる」ことや「たおやかな娘」が「豪族や朝廷に」人身御供とされることへの怒りと哀れみの情が最後の2連で表されていて、権力への抗拒の詩精神が秘めやかにこめられている。

 高良留美子は1932年東京で生まれ、少女期に戦争を体験したことが、散文詩「集団疎開」でもうかがえるように、社会的視野の広い作品を書かしめている。H氏賞受賞詩人で詩集「見えない地面の上で」「しらかしの森」「高良留美子詩集」などがあり、アジア・アフリカ文学の研究者としても仕事を残した。(卞宰洙 文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.11.2]