若きアーティストたち(69) |
美術家 権基英さん 95年の歴史を誇る宝塚歌劇団。華麗な演技とともに、大階段や大背景など、その舞台装置もまた見応えがある。 その舞台背景に携わり、3年目。 年に8〜10回のペースで変わる舞台。原寸大の制作場で、10メートル×20メートルの大パネルに背景を描くことから、大階段の模様や岩の模型などまで、大方の背景を手がける。 絵画好きの両親の間に生まれ、常に絵のある環境で育った。初級部3年から6年まで、サッカー部と美術部に所属。中級部からはサッカーに専念した。 美術の道を歩もうと決めたのは、高2の時だった。進路について考えるなかで、「美術をやりたい」という思いの強さに気づいた。そして、芸術大学に進学する目標を立て、高3から美術部に転部した。 当初、権さんの意志とは裏腹に、周りからは「サッカーで芽が出なかったから」という視線が向けられたという。悔しかった。見返したい、真剣な気持ちを伝えたいと、積極的に部活に取り組んだ。そのうちに部員たちとも打ち解け、美術の世界にどんどんのめり込んでいった。
しかし、思い通りにことは進まなかった。高級部卒業後、2年間の浪人生活を余儀なくされた。1年目は神戸、2年目は大阪の予備校に通い、一日中デッサンに明け暮れた。大阪へは6時半に家を出て、授業前から夜8時まで絵を描き続けた。
「技術は上達したけど、精神的にはつらかった。とくに大阪では3、4浪している人もいて、技術が高い人ばかりだった。当時は技術がすべてだと思い、受験のための絵ばかり描いていたから、周りに追いつかない、もっとやらなければという焦燥に駆られた」と述懐する。 努力のかいあって、03年4月、宝塚造形芸術大学に入学。4年間専門的に美術を学んだのち、07年宝塚舞台に入社した。 現在、仕事に励む一方、自身のアート活動にも精を出す。仕事帰りにアトリエに通い、展示会前になると休日も創作活動に費やす。 しかし、27歳にもなるとアートばかりを追求する自身と、友人との人生設計のギャップにとまどうこともある。けれども、「今はお金も時間も美術に投じることが、一番楽しいし気が安まる。創作していないと落ち着かない」と、アートに対する思い入れは強い。 近年、ますます多様化するアートの表現。権さん自身、インスタレーションや彫刻なども手がけるが、そのなかでもとりわけ、絵を好む。四角という限られた画面のなかに広がっている、(表現の)無限の可能性を探る楽しさに夢中になっているからだ。 上手い、下手じゃない。技術がいたらない児童が描いた絵でも、心に響く良い作品はある。今まで、描けるものをただ描いたり、展示会のために創作したりした時期もあったが、それでは作品に深みがないし、自身が納得いくものもできあがらなかったという。 「構造や色使いなどはそれを表すための手段、要素の一つであり、何を表現したいか、自分の気持ちに素直に描くことが大事。そうすることで自身も満足するものができあがるし、観る人の心にも通じると思う。一般的に名高い作品は、その価値が付加としてついてくるもの。世界の巨匠たちとまでもいかなくても、後に残るような作品を手がけたい。楽しい分、今の苦労や失敗は、そのためのステップだと思っている。実際、私にとって失敗は原動力になっている」 来年1月7〜13日、兵庫県神戸市の「プラネットEartH」2階ギャラリーで開かれる神戸朝高美術部OB会による展覧会「美術と葉書」に出品する。 3月〜4月にはドイツでグループ展を、6月にはフランスでグループ展と個展を催す予定だ。(姜裕香記者) ※1982年生まれ。明石朝鮮初級学校、西神戸朝鮮初中級学校、神戸朝鮮高級学校卒業。宝塚造形芸術大学を経て、07年から宝塚舞台に勤務。04年「Neo Vessol AREUM ’04−05京都総合展」(京都)、08年「no war 反戦国際交流展」(バンコク)などに出展。作品ホームページhttp://www.creatorsbank.com/users/kiyong531/ [朝鮮新報 2009.11.16] |