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〈遺骨は叫ぶ-31-〉 福島県・沼ノ倉発電所

6千人の朝鮮人労働者 動員、日本敗戦の前年に連行、多くの犠牲者

沼ノ倉発電所はいま稼動していない

 福島県内を走るJR磐越西線猪苗代駅に下車し、北に車で約10分ほど走った磐梯山麓の長瀬川沿いに、沼ノ倉発電所(耶麻郡猪苗代町)がある。

 この発電所は、国策会社の日本発送電株式会社・沼ノ倉水力発電社が事業主体となって起業したもので、アジア太平洋戦争の敗色が濃くなっていくなかで、不足する電力を増強するため、1943年7月に、工費約835万円の予算で事業に着手した。しかも、翌1944年12月には、工事を完成して発電を行うという典型的な突貫工事だった。

 工事は、日本発送電の直営で、勝呂組、熊谷組、飛島組、間組、鉄道工業の5つの企業が分担した。沼ノ倉発電所の認可出力は、当初6千キロワット、最大有効落差は28メートル。水源は裏磐梯の秋元湖から取水した、秋元発電所の落水を、4キロの導水路で、沼ノ倉発電所まで引水することになっていた。そのため工事は、秋元発電所の落水を引く導水路工事と、発電所ダムの工事の二つだった。強制連行された朝鮮人は主に水路工事をしたので、水路4キロの間に朝鮮人の飯場が並んでいたという。

 工事を担当した5つの企業は、各組ごとに事務所と飯場を持っていた。沼ノ倉発電所の工事関係者は、総数で約6千人といわれ、事務所や飯場に寝泊まりしていた。朝鮮人の場合は、「一飯場に70名くらい収容されていましたから、私たちが知っている飯場だけでも16棟ありましたから、概算で1120名いたわけです。飯場には朝鮮人のみで、日本人といえば、賄いの女の人が数名働いていたくらいです」(李広平)という。このほかに、近くの沼ノ倉集落の農家や物置などに約200人くらいの朝鮮人が住み、発電所の工事をしていたが、強制連行とは違う、別な人たちと言われている。

「朝鮮人殉難者慰霊碑」の裏面に33人の名前が刻まれている

 沼ノ倉発電所の工事に朝鮮人が連行されたのは、1944年の夏で、「現場にバスに乗って大勢到着しました。夏だから薄い麻の服を着て、足には藁の履物を履いて、猪苗代警察署の特高刑事が、連行されてきた朝鮮人に対し、大要『君たちは、産業戦士としてここに来たのであり、日本の勝敗は君たちの両肩にかかっているのであるから、一生懸命働くように』の訓示」をしたが、「強制連行の実態については、日本発送電の職員が、朝鮮に直接行き来して強制連行したのか、または各組事務所が直接連行を行ったのか、資料、証言に乏しい」(「福島の朝鮮人強制連行真相調査の記録」)ので、判っていない。

 朝鮮人が寝泊まりした飯場は、バラック建ての粗末な建物だったが、周囲は板塀で囲まれていた。その上に有刺鉄線が張り巡らされ、監視人がいつも見張っていた。とくに、地元の人たちとの接触は禁じられていたという。

 朝鮮人の労働時間は、朝の6時から夕方の6時までと長かった。しかも作業は導水路掘りというきつい労働だった。地表から1メートルくらいは火山灰土や石なので、スコップで仕事が出来たが、深く掘っていくと粘土になるので、日本の道具の「つくし」に似た朝鮮の「エンピ」というのを使って掘った。導水路は、巾員が広い上に、深さも5メートル強もあるので、底の土を彫り上げるにはモッコで担ぎ上げた。場所によっては3段式に、下からスコップで順々に1段ずつ、土を上に跳ね上げるという重労働を毎日のようにやった。掘った土砂は、主に導水路の両側や、長瀬川に捨てていた。電気巻きのウインチを使ってトロッコを運転し、土砂を捨てている人もいたが、わずか数人だった。

 これほどの力仕事をしているのに食事はわずかなものだった。ご飯は、米・麦・雑穀混じりで、一人1日に2合だった。これを3回に分けて食べたが、丼の中のご飯は、そばから見ても入ってるのがわからないほど少ない量だった。空腹が満たされないので水を飲んで耐えた。

 また、冬の長瀬川沿いは強風が吹く上に、雪も積もるが、夏服できた朝鮮人に冬服の支給はなかった。現場で拾ったセメント袋を背や腹、足に巻いて縄で縛り、寒さを凌いだ。このため、多くの逃亡者が出たが、捕らえられると殴り殺されることが多かった。

 朝鮮人の事故死も多い。「現場では、多くのダイナマイトを仕掛けた花火のように、バンバンやるものですから、逃げ遅れて吹き飛ばされる場合と、崩れる土砂の下敷きになっての圧死。さらには長瀬川へ土石をトロッコで捨てる時に、身体ごと土石と一緒に川に落ちた転落死や川での溺死が多く、なかには土堤が高いので、重いモッコと一緒に転落死」(「福島の朝鮮人強制連行真相調査の記録」)することもあった。

 猪苗代町役場の「埋火葬認証下附診断書綴」の1939〜46年のなかに、「中国人11名、朝鮮人33名の死亡者が記録されている。病名は心臓麻痺、脳出血、全身衰弱症、慢性胃腸カタル症などの病名の他に、作業中の事故として埋没、胸椎骨骨折、頭部打撲傷、溺死などが見い出せる」(「猪苗代町史」)という。

 2009年の初冬、沼ノ倉発電所の導水貯水池の畔に建っている「朝鮮人殉難者慰霊碑」を訪ねた。裏に33人の朝鮮人犠牲者の氏名が刻まれていたが、碑に供花はなく、寒々と風に吹かれていた。(作家、野添憲治)

[朝鮮新報 2009.11.24]