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「朝鮮と日本の詩人」連載をおえて 詩人たちの「朝鮮観」浮き彫りに

静かな抵抗、怒りの叙情、政治的視点

高村光太郎

萩原朔太郎

 2006年の1月から始めた詩人紹介のエッセーも結びを迎えることになった。3年間でその数114編に及んだ。

 掲載した詩を主題(内容)別に分類すると次のようになる(配列は便宜上数の多い順にした)。

 1、日本の朝鮮侵略(壬辰倭乱を含む)を告発した作品(24編)。
 2、1920年代後期と1930年代のプロレタリア詩人による朝鮮人民のたたかいへの激励と連帯を示した作品(17編)。
 3、8.15解放後の在日朝鮮人のたたかいと生活、一世同胞の望郷の念を反映した作品(13編)。
 4、「韓日会談」と南朝鮮独裁政権糾弾、光州人民蜂起支持、金大中、金芝河の救援をアピールした作品(13編)。
 5、金日成主席賛歌と朝鮮への共感、在日同胞の帰国運動の支持を明示した作品(12編)。
 6、朝鮮戦争における米軍の侵略的本質の暴露と統一への願いを表明した作品(10編)。
 7、朝鮮の陶磁器、美術、建築への憧憬と自然美を嘆賞した作品(9編)。
 8、強制連行告発と関東大震災の朝鮮人虐殺を責問した作品(6編)。
 9、「従軍慰安婦」と原爆犠牲者同胞の鎮魂と糾問の作品(5編)。
 10、朝鮮の抵抗詩人に対する敬慕と朝鮮人への親近感を表出した作品(5編)。

森崎和江

中野重治

石川啄木

 以上10項目は機械的な分類という感じもするが、主題が相互浸透している面もある。要約すると、114編すべての詩に通底しているのは、各詩人によって深浅の差はあるものの、日帝の朝鮮侵略に対する悔恨の情と罪己の念であり、圧政に苦しむ朝鮮民衆への同情と友誼の意志である。

 詩についていえば、社会主義詩歌の端緒を開いた石川啄木をはじめ日本の近・現代詩史における詩豪らである萩原朔太郎、高村光太郎、北原白秋、歌仙といえる斉藤茂吉と若山牧水らの作品は尤物である。プロレタリア詩人が多く作品を残しているのは当然だといえるが、その中には中野重治の「雨の降る品川駅」や小熊秀雄の「長長秋夜」のようなプロレタリア詩のみならず、日本現代詩における絶唱と評価されるものもある。

 朔太郎や白秋と並び称せられる室生犀星の名吟「高麗の花」の静謐な抵抗、昭和初期の詩壇をリードした詩誌「四季」の主幹の一人であった丸山薫の芳韻「朝鮮」にみる怒りの叙情、そして、音律の秀抜な抒情詩を残して昭和詩史に光芒を放つ中原中也の「朝鮮女」の政治的視点は、在日同胞の間でもっと膾炙されてほしいものである。

 8.15解放後(戦後)で特筆すべきは、前衛詩を志向して実験的な新手法を追求し戦後詩の一時期を画した関根弘、長谷川龍生、木島始らが結成した「列島」グループの詩人の作品が11編あったことである。また詩の分野における芥川賞ともいわれているH氏賞や高村光太郎賞、高見順賞、小熊秀雄賞などの権威ある詩人賞の受賞詩人が17人いたことも記しておきたい。

 本紙に自作の詩が論評されたのを喜んで筆者に葉書をくれた森崎和江を含めて朝鮮生まれ、育ちの詩人が10人いたことも記憶に残る(ついでにいえば筆者に書信を寄せてくれたり、電話で、あるいは直接会って感想を述べてくれた詩人は14人になる)。

 114人の詩人を紹介したのだがこの他にも宮沢賢治、安東次男、吉本隆明、谷川雁、寺山修司、吉増剛造らを入れて、まだまだ多くの詩人が朝鮮にアプローチしていることも付記しておきたい。

 朝鮮と日本の詩人についてのまとまった論考は、私の知る限りでは、類例がないのではなかろうか。その意味において、このささやかな連載は、日本の知性の代表者に入る詩人たちの朝鮮観を知るうえで参考になるし、また、在日同胞にとっては朝鮮を知り日本を理解するための資料にもなると考える。別の側面からすれば、詩を読むということの意味を知りまた、詩の読み方を理解する糧にもなるのではないかと、ひそかに自負している。

 朝・日両国の友好親善のかけ橋に少しでも役立つならばという思いを抱きながら、3年におよんだこの連載をおえることにする。(卞宰洙 文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.12.14]