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最優秀作品 シュークリームの思い出

 これは、私が中級部にあがったばかりの頃に体験した話です。

 私の母校、新潟朝鮮初中級学校では年に一回学校の運動場で日朝友好を目的に「ミレ・フェスティバル(以下、ミレフェスタ)」というイベントを開催しています。

 ミレフェスタでは、運動場を開放し、日本の方々も自由に来場できるようになっていて、オモニ会による焼肉や食品の販売、チョチョン(在日本朝鮮青年同盟)による子ども用のゲームコーナーなどもあり、近隣の方のみならず、わざわざ遠方からも足を運んでくださいます。舞台で披露される学生たちの公演も毎年好評を博しています。

 その年も毎年のようにたくさんの人がミレフェスタ成功のために準備にとりくんでいました。日本の方々による「朝鮮学校を支援する会」からも支援金が集まり、学父母や同胞たちも資金を集めるために日々奮闘していました。

 そしてミレフェスタ前日、食品の仕込みも終わり、いよいよ明日だと皆が胸を躍らせていた夜、大きな地震が私たちをおそいました。

 中越地震でした。

 幸いにも私たちの地域に大きな被害はありませんでしたが、中越ではたいへんな被害にあっているという連絡がありました。そこで私たちは明日の成功のためにと日々準備してきた食品やその他を即刻、被災者の方々の元へと送りました。

 その数カ月後…。

 私がバスに乗っていると、一人のおばあちゃんが乗り込んできました。混んでいるバスの中、人見知りな私は勇気をふりしぼり、おばあちゃんに席をゆずりました。

 おばあちゃんは、にっこりと笑いながら礼を言い、私にどこの学校かとたずねました。

 「朝鮮学校です」

 私は少し小さな声で答えました。周囲の人の目が怖かったし、何よりも、目の前で優しそうにわらっているおばあちゃんの笑顔が消えてしまうのが嫌だったからです。

 するとおばあちゃんはびっくりした様子の中、さっきよりも優しい、うれしそうな笑顔で私にこう言いました。

 「朝鮮学校の子だったんだね。この前、中越地震があったでしょう? おばあちゃんのお家ね、中越にあるの。私ね、おじいちゃんと二人暮らしで、その日は水道も電話もつながらなくて、さむくてね…。そんな時、一番最初にあったかいご飯をくれたのが、在日の人たちだったんだよ。聞けばある行事を中止して、そのための食べ物やらいろいろをすぐに届けてくれたんだってね。本当にありがとう。本当にたくさんの日本人が、在日の方々に感謝してるんだよ」

 そう言っておばあちゃんは、私の手にシュークリームをのせてくれました。

 私は何だかとても温かい気持ちになって、おじぎをしてはシュークリームを片手に、バスを降りました。

 手にのせたシュークリームを、私はカバンにしまう気になれませんでした。つぶれないように、落とさないようにちょっぴり誇らしげに、大切に家に持ち帰りました。

 家に帰ってシュークリームの包みを開けると、シュークリームの甘い香りとともに、笑顔がこぼれました。(羅由熙、茨城朝鮮初中高級学校)

[朝鮮新報 2009.12.18]