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春・夏・秋・冬

 今年は松本清張生誕100年に当たる。ぼう大な著書の復刻・出版や作品の映画・ドラマ化と、その人気はいまだに根強い。筆者も今なお同氏に魅了されている一人だが、小説にしろドキュメントにしろ、既成観念、枠にとらわれない自由な発想と展開、貪欲なまでの資料収集と研究、分析の熱心さにその理由がある

▼彼が今を生きていれば、国際社会を未曾有の混乱に陥れている米国発の金融不安、固有の権利である朝鮮の人工衛星発射、その権利を否定した国連安保理議長声明、侵されようとしている国家の安寧を守るための核実験などを巡る状況などをどう思い、どのようなメッセージを発しただろうかと思う

▼常々、指摘してきたことだが、今の朝鮮の状況を理解するためには、いずれも米民主党政権が相手だった1990年代初の第一次核危機、遡れば50年の朝鮮戦争と停戦協定に行き着かなければならない。朝鮮問題の根本である。その視点が欠けると、自称朝鮮問題専門家たちの見解になってしまう。そうした類のものが氾濫し、いとも簡単に市民権を得てしまうのだから、この社会の底の浅さ、裏返せば怖さがわかる

▼昭和50年、1975年の節目の年に城山三郎、五味川純平、鶴見俊輔氏らと行った「対談 昭和史発掘」の中で同氏は「形をかえたファシズム」の出現の危険性を示唆している。城山氏はそれを「糖衣にくるんだようなファシズム」と表現した

▼朝鮮にかこつけた日本の現状況は、両氏の指摘する「ファシズム」がすでに発現していることを示している。(彦)

[朝鮮新報 2009.6.5]