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春・夏・秋・冬

 太平洋戦争中に建設された防空壕の跡地で、一点の光もない「完全な暗闇」というものを体験した。まさに漆黒と言える空間では、目を開けているのかどうかさえわからなくなり、一歩踏み出すことさえ躊躇した。次第に不安と恐怖を覚え、絶望感さえ感じた

▼日常ではほとんど体験できない。深夜に田舎の農道や森の中を歩いても星や月の明かりがある。人為的に暗闇に閉じ込められたとしても、外界が存在するという認識が不安をいくらか和らげる。どこかに「希望の光」を求めようとする

▼日本の植民地支配時代、多くの朝鮮人が異国の地で防空壕や地下軍事施設の建設工事、炭鉱労働に従事させられた。朝なのか夜なのか、夏なのか冬なのかも感じ取れない閉塞した空間で、穴を掘り続けなければならなかった労働者たちは、何に「希望の光」を見出していたのだろうか

▼日本当局による在日朝鮮人弾圧と人権侵害が広がり、朝鮮バッシングが過熱している。米国とその追従勢力は「制裁」を強化し朝鮮を孤立させている。そんな状況下、朝鮮人として生きることに絶望感を抱く同胞もいる

▼だが「完全な暗闇」ではない。日常の明るさに慣れてしまって大切な光を見失ってはいけない。ある1世同胞は笑顔で語る。「今の若い同胞は悲観的なことばかり言う。われわれは国を奪われても異国の地で生き延び、苦難を一つずつ乗り越え今の地位を築いた。日本人の味方もいっぱいいた」。戦時中この防空壕でも助け合いがあったという。「完全な暗闇」を体験した時も周りに大勢の日本人がいた。(天)

[朝鮮新報 2009.7.21]