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春・夏・秋・冬

 金大中元大統領が亡くなった。祖国解放記念日前から危篤説が流れ、筆者の周囲でも旧知、縁のある人たちはソウルに行くべきかどうか、逡巡していた。それにしても盧武鉉前大統領の死といい、今年は巡り合わせの良くない年だ

▼学生時代に都内で元大統領の演説を聴いたことがある。反独裁民主化闘争を展開して亡命を余儀なくされた1970年代初、朴正煕政権下でのことだ。その後、命を狙われ続け、日本から拉致された事件の記憶は今もあせない。光州事件の際には「北との関与」などをでっち上げられた。朴正煕の跡を継いだ全斗煥によって死刑を宣告され、米国への出国と引き換えに執行を猶予された

▼青年政治家としての登場、朴正煕をあと一歩のところまで追い詰めた大統領選挙、反独裁民主化闘争、亡命、拉致、死刑宣告、そして大統領選挙での勝利と、まさに流転の一生だった。しかし考えてみると、彼の生き様は当時を生きたわが民族の成員たちのそれにも重なってくるものだ

▼90年9月、初の北南高位級会談随行記者としてソウル入りした夜、南側総理主催の晩さん会会場で元大統領に取材した。秘書を連れて会場から出ようとした一瞬を逃さず「平壌に行かれる気持ちはありますか」と問い掛けた。元大統領は「今すぐにでも出かけていきたい」ときっぱりとした口調で答えた

▼それから10年後、平壌空港に降り立ち、金正日総書記との歴史的な対面、6.15共同宣言の発表。民族の和解と統一の念願−総書記が弔電で指摘した通り、その功績は末永く伝えられていくだろう。(彦)

[朝鮮新報 2009.8.21]