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春・夏・秋・冬

 学生時代に世話になったある大学教授は、凶悪犯と同姓同名だったことで、犯人が入信していた新興宗教の幹部ではないかと根も葉もない噂を広められたことがある。教授は「なぜ名前を報じる必要があるのか?」と嘆いていた

▼日本では、事件報道で容疑段階から写真入りで実名を載せ私生活や経歴を暴くメディアが多い。その対象は家族にまで及ぶことがあり、無実の人が犯人に仕立て上げられたケースもある。最近は被害者側が報道被害に遭うケースも目立つ

▼報道各社は被害者の経歴や写真を求めて、競って聞き込みを行い友人や同級生から写真を得る。その結果、被害者は私生活を赤裸々に暴かれ顔写真が出回り、自宅前を報道陣に取り囲まれ二重の被害に悩まされる。そうして作り出された情報は半永久的にインターネット上を徘徊する

▼小学校で起きた無差別殺傷事件で、あるテレビ局のレポーターが事件現場にいた児童に犯行の様子について執ように質問を繰り返したことが問題となった。どこまでが取材活動として許される範囲なのか、どこまで書いて良い内容なのか、報道各社や記者の倫理観に委ねられているのが現状だ

▼実名報道は記事に信憑性を与えるうえで重要だ。名前を伏せると、「良からぬ事情があるのか?」「本当にそんなコメントを得たのか?」との疑念を生む。とはいえ、最近は躊躇することがある。きっかけは、日朝友好のイベントに参加した日本の大学生のコメントを記事に引用したところ、彼らが誹謗中傷攻撃を受けたことだった。個人情報を扱うことの責任は重い。(天)

[朝鮮新報 2009.11.2]