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春・夏・秋・冬

 師走も余すところ残りわずか。年賀状の執筆に追われている読者諸兄姉も多いことと思う。とはいえ、昨今は少し事情が異なるらしい。年賀ハガキの売り上げが年々、減少しているという。駅前で出張販売をよく見かけるが、ほとんどの人が足を止めずに通り過ぎていく。パソコンや携帯電話を使ったメールで年賀のあいさつを済ます人が増えたそうだ

▼キーボードで入力すれば誤字脱字は減る。絵文字や顔文字の種類も豊富で、組み合わせも自由。いくらでも修正が可能なうえに悪筆もごまかせる。時代の移ろいとともに年賀状の作成も随分と「進歩」した一方、デジタル文字を象る無機質な字形には一抹の寂しさを覚えてしまう。科学の発展がもたらす利便性と引き替えに、大切な何かを失い続けているような気がする

▼朝大に在学していたとき、食料品を詰め込んだ段ボールが実家からよく届いた。箱を開けると、チラシの裏に手書きで綴られた母の短い手紙がまず目に入った。たとえ拙い走り書きであっても、それがチラシの裏に書かれたものであっても、息子を慮る温もりが伝わってきた

▼便りを綴るとき、そこには必ず書き手の想いが込められる。つつがなく息災かと宛名に記す人の顔を心に浮かべながら丹念に筆を走らせる。源氏物語に花を添えたのは逢瀬を手引いた恋文であった。携帯電話のメールでは光源氏の魅力も伝わるまい。想いの丈を筆に託すという行為をもっと大切にしたい。IT全盛の21世紀だからこそ、肉筆に籠もる温もりが嬉しい

▼年の瀬も押し詰まる。来年は寅年である。(富)

[朝鮮新報 2009.12.21]