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追悼碑建立−日本の加害責任、初めて言及

 9月になると関東大震災下の朝鮮人虐殺事件の追悼行事が各地で続く。

 今年は86周年を迎えたが、まもなく、この問題を生涯のライフワークにして、その真相を追及してこられた故琴秉洞氏の一周忌。「関東大震災時の朝鮮人虐殺」のことを初めて知った日が、日本敗戦の日の「玉音放送」に落涙した日と重なる日だった。この日受けた衝撃が、長く事件に取り組む原動力になったと述懐していた。

 もう一人、昨年2月、他界された絹田幸恵さん(享年77歳)も非業の最期をとげた名もない朝鮮人犠牲者たちの無念の思いを心に刻み、真相調査に取り組んだ方だった。事件を闇から闇へと葬り去ろうとする勢力が台頭するなか、あらゆる妨害に屈せず、地道に歴史の真実を追究しつづけた献身の生涯だった。

 その絹田さんの志を受け継いで、真相究明に取り組んできたのは「グループほうせんか」(西崎雅夫代表)。このほど荒川河川敷そばの私有地に、朝鮮人虐殺事件の追悼碑が完成し、除幕式が行われた。追悼碑には「軍、警察、民衆によって虐殺された」と加害責任を明記。山田昭次・立教大名誉教授は追悼碑の中で、日本の加害責任に初めて言及したと高く評価している。日本政府がいまだに知らぬ存ぜぬと頬被りして公的責任を取ろうとしないなか、良心的な人々のたゆまぬ努力に頭が下がる。

 今年、グループの学習会で発言したある高校生は、こう述べたという。「何が本当か嘘かわからない今の情報社会で(当時もそうですが)自分に対しての批判力が必要なのだと思います。どのように殺されたのでなく一人一人がどのように生きてきたか、生きていたかを知っていきたいなと思います」。胸がジーンとなった。(粉)

[朝鮮新報 2009.9.11]