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正月に思う「幸せ」

 次の正月までもつかどうかと言われていたハラボジの容態が奇跡的に良くなり、今年、2009年の正月を一緒に迎えることができた。ハラボジ、ハルモニとアボジ、オモニ、3人の妹弟の中で育った私は、この7人の存在が空気のようで、私がこの世にいる限りずっと一緒にいるのだろうと漠然と思っていた。

 しかし、幼小の頃60、70代だったハラボジ、ハルモニも、私が30代に届く歳になると、やはり80、90代になる。帰省のたびに老いを感じるようになった。平均寿命からすると、これくらい生きれば十分だろうと思われるかもしれないが、いざ自分の身内となるとそうは思えないものだ。ハラボジ、ハルモニ、そして近くで一人暮らしをしているウェハルモニ(母方の祖母)はそれぞれそれなりの病を患っているが、一日でも長生きしてほしいというのが家族の願いである。

 1世だといって、何か神的なものでなく、個性をもった普通の人だと思うが、民族や故郷、祖国、そして家族を人一倍大切にしてきた3人だと思う。身近な人の死を初めて意識することになってから、それまで当たり前だったこと一つ一つをありがたく、「幸せ」だとかみしめるようになった。

 ハラボジ、ハルモニ、ウェハルモニと迎えることができた今年の正月。いつもと何もかわらなかったが、本当に幸せな正月だった。

 食べるもの、住む家、着る物があり、愛する人が生きている。それも健康であればなお良い。今の幸せをしっかりとかみしめ生きていきたいと改めて思う。(姜潤華、東京都在住、団体職員)

[朝鮮新報 2009.1.30]