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下町の今昔

 京成八広駅(東京・墨田区)を降りてすぐ目の前の土手に登ると、下町らしい温かい光の中で静かに流れている荒川を見渡せる。その荒川を背にすると、現在建設中のスカイツリーが2012年春の完成を目指し、下町の町につりあわない違和感を見せながらそびえたっているのがはっきりと見える。

 一方、そんなタワーを正面にすると、背後からは関東大震災時流言飛語によって、軍隊や自警団に虐殺された多くの朝鮮人たちの悲痛の呻き声が、東京荒川の旧四ツ木橋河川敷から聞こえて来るような錯覚を覚える。

 1982年9月、名もない骨を掘り起こそうと、在日朝鮮人、日本人の手によって発掘作業が行われたが、日本軍警の隠蔽工作により骨を見つけることはできなかった。行き場のない数千人もの怒りと悲しみは、今どこを彷徨っているのだろう。

 決して風化を許してはならない。そんな思いから毎年9月には荒川河川敷で日朝の人々による追悼式が行われており、去年の9月には河川敷付近の敷地に追悼碑が建てられた。追悼碑の隣に自宅を構える「グループほうせんか」の西崎雅夫代表は、「風化を止めるのは難しいが、これからも在日の人たちと日本人が力を合わせて悲惨な過去の事実をさらに伝えていきたい」と話した。

 スカイツリーが完成する頃には大勢の関心は「事件」からさらに離れていくかもしれない。しかし、あった事実を消すことは絶対にできない。さもなくば、無惨に殺された朝鮮人の無念は永遠に晴らされないであろう。(梨)

[朝鮮新報 2010.7.20]