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「ウリ民族フォーラム2010in北海道」の舞台裏

実践通じた提案、北海道青商会の挑戦

 既報のように、5日に行われた「ウリ民族フォーラム2010in北海道『つなげよう、同胞社会のバトン〜ぼくらの夢はデッカイ道!!〜』」では、北海道青商会が行った実践を通じて、活気に満ちた同胞社会を作り上げるための方策が、日本各地の青商会会員たちに発信された。北海道青商会ではこの間、道内同胞の歴史を伝える「北海道同胞歴史資料館」の設立準備、道内同胞の生活情報を配信する「北海道同胞メールサービス」、北海道朝鮮初中高級学校と東北朝鮮初中級学校の初中級部児童・生徒たちが参加した「『ともだち』ウィンターフェスティバル」、そして、「北海道同胞訪問」を実践に移した。

同胞訪ねて3万キロ、感じた温かさ

フォーラムオープニングで行われた300人同胞大合唱の練習風景

 「みなさん、夢とは何でしょうか?」。フォーラム第3部「北海道青商会の実践と提案」の冒頭で、李東潤北海道青商会会長(同フォーラム実行委員長)は聴衆にこう語りかけた。

 李会長が思い浮かべる夢とは、「子どもたちがまぶしいばかりの笑顔で未来を描く、その姿」だった。そんな夢をかなえるためには何が必要か−、温かい同胞社会を子どもたちに引き継ぐこと、では同胞たちをつなげるにはどうしたらいいか。

 李会長が導き出した答えはいたってシンプルだった。「同胞たちに会いに行こう。会えば何かが生まれる」。こうして北海道青商会会員による、道内同胞訪問が始まった。

 日本国土の20%以上を占め、東北6県を合わせた面積よりも広い北海道での訪問活動は、言葉に表すほどたやすいことではない。札幌から数百キロ離れた釧路や根室にまで車を飛ばし、時には飛行機も利用した。日帰りでは間に合わず、泊まりがけになることさえあった。

 一軒一軒同胞宅を訪ねる道のりは、同胞社会の温かさをあらためて感じる過程でもあったという。

 札幌市内で1人暮らしをしている1世ハルモニは、「同胞青年が訪ねてきてくれて、こんなにうれしいことはない。焼肉を食べに行こう」と誘ってくれては、4時間にわたり昔話を聞かせてくれたり、「朝鮮大学校を出たのに朝鮮語が下手だ、勉強が足りない」と言って叱咤激励してくれたハラボジもいたという。

それまで各地で練習された歌声は、当日の舞台の上で大きな一つになった

 「『ご飯食べたか?』と言って、温かく迎えてくれる同胞たちの姿が本当にうれしかった。とくに1世方たちが喜んでくれた。『こういう若者の姿に、同胞社会の未来がある』とまで言ってくれた方もいた」(李会長)。

 もちろん厳しい意見を耳にしたこともある。「それでも帰り際に、『がんばれよ』って、送り出してくれる一言が、励みになった」と、李会長は訪問活動の日々を振り返る。

 3月18日から8月26日までの約5カ月間に、会員たちが会った同胞数は、延べ1935人、総移動距離は3万キロを超えた。

 「フォーラムというゴールに向けたプロセスが大切だった。同胞たちに直接会って話を聞くことは形には残らないけど、同胞社会を盛り上げる一番大切なことだと思う」(李会長)。

 青商会会員による訪問活動は道内同胞社会で大きな話題になったという。「若いトンムたちが活発に動いている」という話が同胞らの口に上がる回数と比例するように、フォーラム開催に向けて協力を惜しまない人たちの数が、日増しに増えていった。

 李会長は「同胞訪問は専従の仕事ではないかという意見もあった。でも、そうではないはず。みんなができることをやっていけば、同胞社会はもっと活気に溢れたものになると思う。1世たちの時代も、そうやって同胞社会を作ってきたのだから」と話した。

夢を語り合う場から実践を提案する場へ

フォーラム1部で上演された、映像と演劇「しるし〜在日100年の物語」の練習風景

 北海道で開催された第1回民族フォーラムから15年。フォーラムは、夢を語り合う場から、その夢を実現するための実践を語り合う場に変化してきた。

 昨年7月に行われた茨城県でのフォーラムでは、「トンムは全国にたくさんいる」を合言葉に開園された「セッピョル学園」の実践が紹介された。「セッピョル学園」は、茨城朝鮮初中高級学校高級部の学区にあたる、茨城、東北、福島、新潟、栃木、群馬の各初中級部児童・生徒たちが2泊3日して集まり、一つの朝鮮学校≠開校するというもの。

 この取り組みをモデルにして開催されたのが、北海道での「ウィンターフェスティバル」だ。北海道初中高に東北初中の子どもたち、北海道内の日本学校に通う同胞の子どもたちを招いて1月13日から2泊3日で行われた「ウィンターフェスティバル」では、学習発表会やフィールドワーク、大運動会などが催されたが、最大の特徴は13年ぶりに同校の運動場に作られたアイススケートリンクだ。青商会会員や同胞ら延べ81人が、10日間にわたり、夜9時から翌朝6時まで夜を徹してリンク作りに奔走した。

 同校から車で15分も行けばスケート場があるが、「アッパたちが作ったスケートリンク」にこだわったという。実際に作る姿を子どもたちが目にするわけではないが、運動場の手作りスケートリンクが、子どもたちにとって、忘れられない記憶になるという思いがあったからだ。当日、スケートリンクの上ではじける子どもたちの笑顔が、それまでの苦労を忘れさせてくれたという。

 「セッピョル学園」「ウィンターフェスティバル」と続いた試みは、中国・四国にも伝播し、同地域の朝鮮学校と日本学校に通う同胞児童が集まった「ピカピカ! ミレキャンプ」が8月に開催された。

 今回の民族フォーラムで新しく提案された実践が、前述の同胞訪問と、「同胞メールサービス」「同胞歴史資料館」の設立だった。会員たちは同胞訪問を通じて、メールサービスを宣伝し会員を募集し、資料館設立のための資料収集の協力を訴えた。

展示パネル作成に北海道初中高の高級部生徒も協力した

 道内の同胞生活やウリハッキョでの出来事など、地域密着型の情報を週1回以上配信するメールサービスの登録者数は、9月5日現在、8歳から88歳までの842人に達した。当面は1千人を目標に今後も会員を募集していくという。80代の1世同胞からは、「毎週メールが届くのが、最近の一番の楽しみだ」という感想も寄せられた。

 そして北海道青商会がいまもっとも力を注いでいるのが、「歴史資料館」設立準備だ。すでに4100枚の写真、100冊以上の書籍と資料、31点の映像物、また数々の物品が提供された。強制労働が行われた幌加内クローム鉱山、雨竜ダム建設現場で撮影された写真や徴用告知書などの植民地期の資料にはじまり、札幌朝聯初等学園の設立や権利獲得のための同胞たちの闘争など、祖国解放後からこんにちにいたる北海道同胞社会の歴史を伝える資料の数々。また、新婚旅行を前に駅前で写されたほほえましい写真など、同胞たちの生活の色がにじみ出た資料も多い。提供された資料はすべてデジタル化され、年代ごと、分類ごと、提供者ごとに保存されている。

 8月6日に、資料館設立と運営を目的とする常設的な委員会結成のための事務局が発足。事務局では、同胞だけでなく多くの日本市民たちにも訪れてもらうための環境作りを検討している。

 フォーラム当日には、その資料の一部が会場ロビーに展示された。フォーラム参加者の多くが、足を止め資料を見入っていた姿が印象的だった。

 北海道青商会の金泰九副会長は、「地域同胞社会の歴史を保存するこの活動が、北海道だけではなく、日本各地の同胞社会に広がれば」と願っている。

 今回の民族フォーラムが投げかけたメッセージ。それは、子どもたちの未来のために、地域の同胞たちをつなげ、地域と地域の同胞社会をつなげ、そして1世から連なる世代と世代をつなげることの大切さだった。(鄭茂憲)

[朝鮮新報 2010.9.13]