「2010在日朝鮮人歴史・人権月間」全国「福岡」集会 民衆の連帯で新時代を |
シンポジウム 植民地主義克服し有効を
18日の「2010在日朝鮮人歴史・人権月間」全国「福岡」集会で行われたシンポジウム「『韓国併合100年』今こそ平和と友好に向けて」では、地元実行委員会事務局長の中村元気・日朝学術教育交流協会会長による司会のもと、朝鮮大学校図書館長の康成銀教授と「朝鮮女性と連帯する日本婦人連絡会」の清水澄子代表が報告を行った。 「国を失った日、朝鮮はなぜ植民地になったのか」と題して発言した康教授は、朝鮮が強制併合されるまでの歴史的経過について解説。1905年「乙巳5条約」(保護条約)が不法・無効であるため「韓国併合」も不法・不当であるとする各国学者らの研究成果など、豊富な史料と歴史的事実に基づいて、日本の植民地支配を正当化する主張を反証した。 また、在日朝鮮人に対する差別と迫害など今日に至る日本の植民地主義は、米ソ冷戦体制と朝鮮半島分断に依存して温存されてきたと指摘。脱冷戦、朝鮮統一を目指す観点から東アジアの脱植民地主義について考えていかなければならないと述べた。 康教授は「韓国併合条約」の無効化を求める市民運動の高まりについて言及し、「そうした世の中を変えようという気概が両国の未来を築くうえで大切だ」と訴えた。
「今こそ平和と友好に向けて」と題して発言した清水代表は、日朝国交正常化のプロセスについて「日朝国交正常化を求める連絡会」などで議論された試論を披露した。そのなかで、日本政府に対して、「日朝国交正常化の過程で拉致問題の解決をはかる」という日朝平壌宣言の原則に立ち返ること、「韓国併合」100年を機に植民地支配に対する謝罪と反省の立場を政府があらためて宣言するなどの形で明示すること、在日朝鮮人の人権を保障し民族教育への支援などを具体的に検討することなどを求めた。
清水代表は「民衆が知恵を絞って国に訴えていかなければならない。国境を越えた民衆の連帯した力で植民地主義から脱却し、日朝と東アジアの新しい時代を切り開いていかなければならない」と訴えた。 質疑応答と各地からの活動報告、意見表明があった。 シンポジウムのあと、交流会が開かれた。福岡朝鮮歌舞団の民謡に合わせて全員で踊るなど、友好的な雰囲気に包まれた。参加者たちは、今回の集会開催の経験を生かし、過去清算に基づいた日朝国交正常化を実現する運動にまい進する決意を共有した。
筑豊でフィールドワーク 歴史直視、犠牲者を追悼
19日には、数多くの朝鮮人が強制連行され犠牲となった筑豊地域でフィールドワークが行われた。 参加者たちは、118人分の朝鮮人無縁仏が安置されている無窮花堂、炭鉱で亡くなった朝鮮人が葬られた旧住友忠隈炭鉱の「ボタ山」にある無縁墓地(ともに飯塚市)をめぐり犠牲者を追悼した。 無窮花堂は、同胞や日本の有志らが協力して筑豊一円で遺骨を収集し、広範な市民と市の協力を得て建てられた納骨堂で、強制連行と朝鮮人弾圧の事実を伝え日朝友好、朝鮮統一を訴えた歴史回廊に囲まれている。 一方、忠隈の無縁墓地では、強制連行と民族差別に苦しむ在日朝鮮人の歴史について学校講演などを通じて語り継いでいる「東録さんが、朝鮮の歌や詩を交えながら犠牲者を追悼した。 「さんは「強制連行は遠い昔のことではなく、私の父母の時代のこと。決して水に流せることではない。若い世代にもぜひ現場に足を運んでもらって、犠牲者の『恨』を追体験してほしい」と涙ながらに訴えた。 福岡県や特高警察などの資料によると、炭田が豊富な筑豊一帯の炭鉱などに15万人の朝鮮人が強制連行され過酷な労働を強いられた。そのうち数千人が事故、栄養失調、暴行などで犠牲になった。炭鉱周辺の「ボタ山」には、今でも数多くの朝鮮人の遺骨が眠っている。忠隈の無縁墓地もその一つで、当時の同胞らが墓標代わりに石を置いたりした。1960年代には50基ほどあったが、次第に取り除かれたり移動させられたりしている。 「死してなお迫害を受けている」 この地を初めて訪れた参加者は声を詰まらせた。 参加者たちは「遠くまで足を運び、貴重な体験をした」「歴史の真実を伝えるためには、声を挙げて運動するだけでなく、こうして現場を踏むことが何より大切だとあらためて実感した」などと感想を述べた。(李泰鎬) [朝鮮新報 2010.9.28] |