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「高校無償化」 〈投稿〉 「第三の危機」への対応を

「高校無償化」問題に関する雑感

 「高校無償化」問題に関していくつか見解を述べたく投稿した。結論から言えば、現在の「高校無償化」問題は本質において民族教育の存続を左右する「第三の危機」であるということだ。もちろん「第三の危機」という場合には、「第一の危機」「第二の危機」があるということになろう。

 私は「第一の危機」を1948年の学校閉鎖令、「第二の危機」を1965年以降の文部次官通達および「外国人学校法案」への動きと捉えている。

 なぜ民族教育がはじまり現在に至るのかについて、日本の植民地支配に起因するものであるという視点は、すでに何十年ものあいだ強調されてきたが、ここであらためて確認しておく。歴史修正主義が台頭している日本で、朝鮮半島が日本の植民地下におかれてから100年を迎える今日においてすら、重ねて強調せざるをえない状況は異常だと言える。

 こうした前提に立ち、3つの危機を見た場合に、まず強調すべきは、在日朝鮮人に対する根本的な差別は日本の敗戦後、今日に至るまで一貫して継続しているという事実である。

 次に、たとえば「外国人学校法案」での議論に象徴されるように、カリキュラムなど民族教育に対する不当な干渉がなされていることだ。

 1966年に発表された外国人学校制度の最終要綱には、文部省(当時)を監督庁とし、文部大臣は外国人学校の設置、廃止に関する認可権、設備、授業などの変更命令、授業の中止命令、学校の閉鎖命令を出すことができるとしている。

 また、校長、教員の任免、教科書、学則を届けなければならない義務を課し、厳格なチェックを行うとしている。この主張と、「高校無償化」問題における政治家の主張は完全に一致している。

 また、「選択」を「強要」しているということも、共通する特徴である。

 人種差別撤廃条約に対する日本の審査で、日本政府は「在日韓国・朝鮮人を含む外国人の子どもについても、公立の義務教育諸学校への就学を希望する場合は、無償で受け入れを行っており、外国人学校への就学を希望する場合には、外国人学校に通うこともできる」と、「選択」の「自由」を強調する。

 しかしながら、経済的事情や学校の法的地位の差別に起因する卒業後の就職差別などにより、「選択」を「強要」されているというのが実情であろう。

 このようにみた場合、現状においては「高校無償化」問題は民族教育の存続を否定する「第三の危機」と位置づけるのが妥当である。

 3つの危機と位置づけたのにはもう一つの意図がある。すなわち、「第一の危機」−学校閉鎖令を乗り越え学校を守り抜いた1世、「第二の危機」−1965年以降の文部次官通達および「外国人学校法案」に反対しすべての学校で各種学校の認可を得た2世、彼・彼女らの教訓をどのように生かすか、ここにすべての鍵があると考えたからだ。

 逆境をチャンスととらえることができるか、一致団結して運動を展開できるか、広範な世論の支持と連帯をどれだけ得られるか、次世代を担う3世、4世、5世の力が試されている。(李賢根・法学研究者)

[朝鮮新報 2010.3.23]