アンソロジー制作を呼びかけた 河津聖恵さん |
野放図な言葉の暴力に抗い 在日との出会い アンソロジー制作の呼びかけ人である河津聖恵さん(49、京都府在住)は、「言葉の訴える強さ」を利器に、「無償化」問題に取り組んだ。 河津さんが在日朝鮮人と出会ったのは、昨秋のこと。この間、朝鮮大学校や京都の朝鮮学校を訪れたり、尹東柱を偲ぶ会を開いたりと、積極的に在日との交流を深めてきた。最近では、在日の人たちから直接話を聞き、ワークショップに参加し、本を読みあさっては、日朝の歴史を見つめ直し、日朝間の問題と真摯に向き合っている。 そんな最中に「無償化」問題は浮上した。2月某日、朝刊に目を通した際、「高校無償化、朝鮮学校除外容認」という文字が目に飛び込んできた。それは、衝撃的な事実として彼女の胸を突き刺した。「在日の方たちと交流を深め、日朝のかけ橋になろうと一生懸命に学ぶ生徒たちの姿に、心を打たれたばかりだった」−。 言葉の暴力 これが民族差別であることは明らかであった。問題に関する情報収集をしていくうちに、残る在日朝鮮人への弾圧を合理化する政治状況が存在し、他者を否応なく冒とくする排他主義が日本社会にまん延していることを痛感した。この問題を傍観していては、その卑劣な行為を容認することになってしまう。ひいてはそれが認められれば、日本に大きな陰を落とすことになりかねないという不安・焦燥感が迫ってきた。 政治家や社会に大きな影響を及ぼすマスメディアの一部は、差別を助長する非人道的な発言を繰り返していた。さらに、ネット上では人倫に反する野放図な発言が飛び交い、言葉が暴力の手段として、他者を断ち切る横暴な道具として使われていた。社会の底とてっぺんからの言葉の暴力−。「当事者にとっては、想像を絶する痛みだろう。言葉の最先端を担う詩人としての責任を思い知らされた」。 自身の目で見て、触れあってきた朝鮮学校の生徒や在日朝鮮人たちがひぼう中傷の渦に巻き込まれている。隣国である朝鮮への非難の嵐も吹き止まない。異様と言わざるを得ない日本社会の現状に、歯止めを掛けなければならなかった。 詩人たちは他者との間に豊かなつながりを作りだそうと、日々言葉の可能性を追求している。詩人として言うべき、声を上げるべきだと考え、差別的な言葉、この由々しい事態に抗う「うた」作りに挑んだ。 新しい次元へ ごまんといる詩・歌人たちの多くは、作品の世界で自身を表現したり、気持ちを整理したり、自身の時間を感じるためにと、自由気ままに思うことを書いている。このアンソロジーは、社会全般に対するアピールであると共に、そんな詩・歌人たちに対して「本当にそれだけでいいの?」という問いかけでもあるという。 河津さん自身も、この問題と向き合うまではそうであったという。しかし、最近では「宙に浮いた言葉ではなく、言葉を正確に使い、現実に対応する」ものを作ろうと心がけている。 今回の呼びかけには、想像以上に多くの詩・歌人たちが呼応した。急な呼びかけに、義務的でおざなりな作品が多いかもしれないと憂慮したりもしたが、良い媒体作用となって、作品群にはどれも率直な思いが編みこまれている。 「日朝の作品が同列に並ぶだけで、インパクトは大きいだろう。日本人も在日同胞も、読み手も書き手も共に触発され、新しい次元を考えるステップになると思う」 「これを元手にどうしていくかが重要である」「一見、自由な日本社会だが、『無償化』問題ひとつを見ても、100年前と根本的に何も変わっていない」。ここに集ったメンバーたちが、今後、朝鮮学校ないしは、日朝問題にどう向き合っていくか。それぞれの立場で活動を広げられるよう模索している。(文−姜裕香、写真−文光善記者) [朝鮮新報 2010.8.24] |