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〈続 おぎオンマの子育て日記-C-〉 里帰り

イラスト:崔麗淳

 小さい頃から新幹線に乗らない夏は1度もなかった。京都出身の両親は、仕事のため埼玉に居を構えたが、埼玉に親せきは一人もいない。子どもの頃の夏休みは新幹線に乗って、祖父母や親せきに会ったり、嵐山で泳いだり、京都のあちこちを散策したりした。楽しい夏休みも両親にとっては経済的な負担や、祖父母の近くにいられないもどかしさが募る時だったに違いない。帰る直前には、小さくたたんだ紙幣をオモニに持たせようとするウェハルモニともらうまいと頑張るオモニの、小さないさかいが恒例となっていた。ある時、オモニのためにと思い、誰にも気付かれぬように、ハンメの手提げにお札を戻しておいた。ハンメからの電話で気付いたオモニは、私の顔を見てただ笑っていた。

 結婚して大阪に住むことになり、この15年間も相変わらず新幹線に乗っている。完璧に大阪弁を話す子どもたちを連れて実家に帰ると、サビつき気味の両親の京都弁がすぐに復活する。今年も帰省した。1年ぶりに会う幼い甥や姪たちはすっかり成長していた。ハンメとハルベの家に日常的に出入りするので、私が20年以上暮らした家のことを私よりもはるかによく知っている。はさみはどこにあって、虫さされの薬はどれで、どの箸がハルベので、庭のブルーベリーはいくつ実をつけたのか。愛らしい口ぶりで説明してくれると、なんだか楽しくて不思議な気持ちになる。

 夕方、洗濯物を取り込もうとして、母の干し方が私と違うのに気が付いた。これも不思議だ。サンホやミリョンが寝た後も、チユニがハンメの布団で一緒にごろごろしながらテレビを見ていたりする。これも不思議でうれしい。少しずつ変化しながらも、つながりは増えていく。幸せなことである。あとは、私が大阪へ戻る日に、オモニがお札を小さくたたんで、掌に忍ばせるのをやめてくれるといいのだが。大阪に戻ると、亡くなった義母の代わりに義姉が「親孝行してきた?」と聞くのだか、思わず答えに困ってしまう。(李明玉)

[朝鮮新報 2010.9.3]