top_rogo.gif (16396 bytes)

「純度100%のチュチェ鋼鉄」 城津製鋼連合企業所の新工程

脱コークス依存、コスト削減も

 既報のように、咸鏡北道にある城津製鋼連合企業所が昨年、「チュチェ鉄」生産システムを完成させた。チュチェ鉄とは、外国から輸入せざるをえないコークスを使わず国産の原料、燃料を用いて作った鉄を指す。朝鮮は外国に依存しない自立的な製鉄工業を確立するための取り組みを長期間にわたって進めてきた。昨年12月18日、同企業所を視察した金正日総書記は同企業所が上げた成果を、「第3次核実験を成功させるよりも偉大な勝利」だと高く評価した。企業所が最高指導者の最大級の評価を得た理由とは何か。新生産システムについて見た。

工程を一体化

城津製鋼連合企業所の設備の一部 [朝鮮中央通信=朝鮮通信]

 近年、朝鮮国内の製鉄所、製鋼所はチュチェ鉄生産システムに移行しつつある。黄海製鉄連合企業所(黄海北道)や保山製鉄所(平安南道)などでも独自の工程を導入して生産を行っている。

 各企業所ではそれぞれの実情に合ったチュチェ鉄生産技術を導入しているという。城津製鋼連合企業所が完成させた生産システムにもいくつかの特徴がある。

 チュチェ鉄と一般的な製鉄法はどのように違うのか。製鉄は基本的に、鉄鉱石とコークス(瀝青炭を蒸し焼きにした高純度の炭素の塊)から炭素分の多い銑鉄を得る製銑と、銑鉄から炭素を取り除き炭素分の少ない(2%以下)鋼を作る製鋼という2つの工程からなる。製銑工程では、鉄鉱石から不純物をとりこむ役目を果たす石灰石とともに焼き固めた焼結鉱とコークスを溶鉱炉に装入し、炉の下部から千度以上の熱風を吹き込む。炉内部では高温の空気中の酸素とコークス中の炭素が反応して2千度以上の高温状態になり、化学反応が促進され焼結鉱から鉄が還元、分離される。

 溶鉱炉で取り出した銑鉄は硬くてもろく、圧延加工をすることが困難なため、銑鉄から炭素分や他の不純物を除去し、粘り強さを持つ鋼を作る必要がある。これが製鋼工程だ。この工程では溶鉱炉から運ばれた銑鉄を転炉と呼ばれる炉の中に装入し、高圧の酸素を吹き込むことで、不要な炭素分などを酸化反応させ取り除く方法が一般的だ。この過程で他の合金元素を混ぜるなどの成分調整を行えば、さまざまな用途の鋼を造り出すことができる。

 以前まで朝鮮では、製銑過程における還元材および熱源として使用するコークスを外国からの輸入に頼らざるをえない状況が続いていた。朝鮮が進めてきた新たな製鉄法の開発には、一貫して「コークスを使用しない製鉄法」というテーマが流れている。

キム・ギヒョン室長

 城津製鋼が今回完成させた生産システムも当然、コークスを使わない。代わりに国内に豊富な無煙炭を利用する。また、製鋼の過程で、保山製鉄所などとは異なり鉄スクラップをまったく用いないという特徴もある。企業所関係者の表現を借りれば、国内で採掘される鉄鉱石、無煙炭などを用いて「純度100%のチュチェ鋼鉄」を造る工程だという。

 企業所傘下の工業技術研究所のキム・ギヒョン室長(59)は、完成したシステムの技術的な特徴として、◆酸素注入の方法で鉄鉱石を一気に還元し、熔銑すなわち液体状態の銑鉄を造る◆製鉄と製鋼の両工程を一つの過程にまとめたという2つを挙げた。また、この方法では一般的な製鉄法で必要な事前処理工程である焼結炉とコークス炉がいらない。

 同企業所は酸素溶融炉と精錬炉を新たに作ることで、このような生産工程を確立した。酸素溶融炉では、回転炉を通じて予備還元された粒状の鉄を高純度酸素の吹き込みによって溶かし、不純物と分離された熔銑を得る。この熔銑を直接精錬炉に移し、製鋼作業を行う。

 キム室長によると、このシステムによって多くの労力と時間、エネルギーが節約されるという。

約束を守る

 「特別感謝」「大満足」−朝鮮の国内メディアの報道には、城津製鋼連合企業所のチュチェ鉄生産システムに対する金正日総書記の高い評価を伝える表現が並ぶ。リ・チョルホ支配人(48)は、「金日成主席の遺訓を貫徹し、チュチェ思想の科学性を実践で立証したから」だと評価の理由を説明する。

 主席がコークス輸入に頼らない鉄の生産、すなわち国内産の原料と燃料に基づく鉄の生産を金属工業の生命線と位置づけ、その実現に生涯心血を注いだことは広く知られている。

 98年3月9日、総書記は同企業所を現地指導し、企業所が直面する問題を解決するための対策を提示した。これは「城鋼(城津製鋼の略)の烽火」として知られている。

 同企業所はその後、4回にわたる現地指導を受けながら、チュチェ鉄生産システムの完成を進めた。

 昨年9月3日の現地指導の際、新たに開発された酸素溶融炉を見た総書記は、製銑から製鋼までが一続きになった工程を完成させれば再び企業所を訪れると支配人に約束したという。城津製鋼連合企業所の技術者、労働者たちは9月下旬から始まった「100日戦闘」の期間中に精錬炉を完成。製鉄から製鋼までが一つの工程になった独自のシステムを構築した。

[朝鮮新報 2010.1.29]