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韓相烈牧師 8.15に南へ、北の各地で「投獄」の覚悟語る

 【平壌発=姜イルク記者】6月12日から単身で北を訪れている韓相烈牧師が8月15日、板門店を通じて南に帰ることになる。牧師は、平壌、白頭山、開城など訪れる先々で「8.15板門店通過」を公言しながら、「投獄」の覚悟と平和と統一のため引き続きたたかっていく決意を語っている。

「統一の歴史に刻む」

日曜日に平壌市内の教会を訪れる韓牧師 [朝鮮中央通信=朝鮮通信]

 牧師は平壌到着後から金日成総合大学電子図書館、檀君陵、平壌学生少年宮殿などの平壌各地を参観し、6.15北側委員会とその傘下の言論、文学芸術、教育分科のメンバー、そして祖国統一汎民族連合北側本部、朝鮮キリスト教連盟などの関係者らと面談した。日曜日は市内の教会を訪れている。平壌市以外には白頭山(7月19〜26日)、開城(7月13〜15日)などを訪れた。

 牧師の北での活動は、メディアを通じて人々に広く知れわたっている。また「6.15共同宣言を復活させるため」という訪北の目的や南に戻れば逮捕、拘束されるであろうことも知られている。

 白頭山地区を訪れた牧師を、同地区の住民らは温かく迎えた。道ばたで牧師と出会った住民たちは手を振り、拍手を送った。中学生が「ウリヌンハナ(われわれはひとつ)」を合唱しながら歓迎する場面もあった。ある戦跡地の女性案内員は、牧師に対する南当局の弾圧を念頭に、「つらくて厳しい道のりになるだろうけれど、牧師の活動は祖国統一の歴史の1ページに刻まれるでしょう」とエールを送った。「また会いましょう」という牧師の言葉に涙を浮かべる案内員もいた。

 三池淵郡学生少年宮殿で行われた勤労者、青年学生との面会行事で牧師は、「南北関係が遮断され誰も往来できない状況で訪れた私を、まるで南を代表する者のように歓迎してくれているように感じる。しかし、南側には平和統一と自主のために献身している数多くの同胞がいる」と紹介。「監獄の中でみなさんを思い浮かべるだろう。監獄から出たらまたここに来ようと思う。また会いましょう」と述べた。

「遺書」を残して訪北

平壌に到着した韓相烈牧師 [朝鮮中央通信=朝鮮通信

 6.15共同宣言の発表を機に北南当局間の対話が定例化し、民間の交流協力事業も飛躍的に拡大した。しかし李明博政権は北南首脳合意を否定し、対北対決政策を追求した。哨戒艦沈没事件を口実にした現在の戦争騒動もその延長線上にある。

 李明博政権は哨戒艦沈没事件に関する「調査結果」を発表した直後、開成工業地帯の関係者以外の訪北を許可しないとの方針を打ち出した。北南対立激化を憂い、6.15共同宣言の履行を主張する韓牧師の訪北も南の当局の基準に照らせば「違法」になる。

 韓牧師の姿を通じて北の住民らが思い起こしているのは、6.15共同宣言の発表以前、北南関係が閉ざされていた1989年に当局の「許可」なく訪北した文益煥牧師(4月)や「全国大学生代表者協議会」(全大協)代表の林秀卿さん(6〜8月)だ。彼らは南に戻った瞬間に「国家保安法」違反で拘束された。

 当時、北、南、海外で、彼らを拘束した南当局を批判し、釈放を求める運動が活発に行われた。また、翌年の1990年から毎年、板門店などで「祖国統一のための汎民族大会」が開催されるようになるなど、祖国統一運動が新たな段階へと発展していった。

各地で北の人たちと交流する韓牧師

 現在、南では韓牧師の行動を「不法」とし、「処罰」の対象とする南当局の方針に対して市民団体が反対と非難の声をあげている。その一方で、牧師に「親北分子」のレッテルを張り、拘束を正当化しようとする右翼団体の動きも伝えられている。

 今回の牧師の活動は平和統一を願っての行動であり、「6.15復活のための」行動だ。それを「不法」とみなすのは6.15共同宣言に対するあからさまな否定となる。

 8.15後、韓牧師に対する南当局の対応や北南交流協力事業の拡大、活性化を主張する南の統一運動団体の動きなど今後の情勢が注目される。

 韓牧師は、南を出発するにあたって「遺書」を残してきたという。彼は「統一と平和のためにこの身を捧げることを決意した以上、怖いものは何もない」と悲壮な覚悟を北の各地で語っている。

[朝鮮新報 2010.8.6]