top_rogo.gif (16396 bytes)

朝鮮中央通信が発表した解放後史料

「抗蒋援華」−中国革命を勝利に導いた朝鮮の支援

 朝鮮中央通信は14日、金日成主席が1945年9月15日に著作「中国人民の革命闘争を積極的に支援しよう」を発表してから65周年になることと関連し、「朝中友好の歴史に末永く伝えるべき崇高な国際主義的信義」と題する記事を発表した。

 記事は、主席が祖国解放直後の複雑な情勢下にもかかわらず、中国人民の解放闘争を援助するための「抗蒋援華」の旗印を高く掲げて中国革命の勝利に貢献をした史実をつづっている。そして、これが「朝中友好を切っても切れない特殊で強固な関係として固く結合させた」と強調。一方、さる8月金正日総書記が訪中した際に胡錦濤総書記は、「中国東北地域の至る所に金日成主席の革命の足跡が歴々と宿っている」と述べ、「主席が朝鮮の独立を成し遂げただけでなく、中国革命の勝利にも大きな寄与をした」と強調した。記事はこれについて指摘しながら、再訪中の意義についても言及している。要旨を紹介する。

同志的信義の勇断

 1945年8月、日帝が敗北すると、中国の蒋介石勢力は共産党との平和談判の裏で米帝と結託して武力を大々的に拡張しながら、東北地域を掌握しようと悪らつに画策した。

 抗日戦争勝利後、政治的、経済的、軍事的に重要な戦略的位置にある東北地方を守ることは、中国共産党に提起された最大の急務であった。

 金日成主席は、解放された祖国の地に人民の新しい国を建てるための重大事業が提起されていた緊迫した状況下でも、共通の理念と革命の勝利を目指す抗日の血戦の道で結ばれた同志的信義を何よりも重んじて中国人民の革命闘争を支援する勇断を下した。

 朝中の団結を強化することについて度々強調した主席は、歴史的な談話「中国人民の革命闘争を積極的に支援しよう」を発表し、中国革命を血をもって援助するという革命的立場を厳かに宣明した。

 主席は、中国東北地方に派遣される朝鮮人民革命軍の軍事・政治幹部と行ったこの談話で、中国革命がアジア諸国人民の民族解放闘争の一環であり、東北地方を守ることが中国革命の勝利を促す上で重要な意義を持つとして、中国共産党が同地域を占めることになれば中国革命に大きな役割を果たすことになるであろうと強調した。

 中国人民の革命闘争を積極的に支援するための主席の決定的措置に従い、朝鮮人民革命軍の優秀な軍事・政治幹部と隊員が中国東北地方の新しい戦域に大々的に派遣された。

 東北地方は抗日戦争直後、毛沢東主席が中国共産党第7回全国代表大会で、「現在の根拠地をすべて失うとしても東北だけあれば中国革命は土台が残ることになる」と指摘したように、中国革命にとって極めて重要な戦略的要衝であった。

 中国革命を私心なく援助するという主席の高い志を受けて、姜健、朴洛権、崔光、林春秋をはじめ多数の朝鮮の革命家が東北地方で献身的に戦った。

 延辺地区に派遣された朝鮮人民革命軍の指揮官は、野戦軍と保安隊、軍政大学などを網羅した吉東保安司令部(後の吉東分区司令部)を創設して数万人の朝鮮青年を武装させ、12万余人を半軍事組織に網羅するなど、東北各地に多くの朝鮮人武装隊伍を組織した。

 これらの朝鮮人部隊が後日、東北民主連軍に参加して中国人民を解放聖戦へと呼び起こすことに積極的な影響を及ぼすようになったことにより、1945年末に27万4千余人であった東北民主連軍は翌年末には36万人、2年後には51万人に急速に成長することになった。

 朝鮮人民革命軍の軍事・政治幹部は、延辺地区に党組織と大衆団体、統一戦線組織である延辺民主大同盟を結成し、土地改革をはじめ諸般の民主改革を実施して同地区を東北解放のための強力な革命根拠地に変ぼうさせた。

 朝鮮の革命家と武装部隊は、延辺地区は言うまでもなく、通化をはじめ南満州と北満州、そして吉林周辺地域で反革命勢力に糾合されていた日帝敗残兵とかいらい満州国軍隊の残党、土豪、土匪と手先を一掃した。これにより、蒋介石勢力の「内応外合」企図を破たんさせて東北解放の有利な条件を整えた。

私心ない支援忘れない

 金日成主席は、新しい祖国を建設する困難の中でも、朝鮮が東北解放戦争と中国革命の勝利のための強固な国家的後方の役割を果たすようにする崇高な同志的信義の世界を広げた。

 中国共産党の東北解放作戦に必要な兵たん機関を設けるようにした主席は、多くの物資と人員を南浦、羅津など朝鮮の領内を利用して疎開および輸送させるようにし、負傷者だけでなく戦闘員と家族、後方人員も温かく見守るようにした。

 1948年の1年間だけでも、30万余dに及ぶ戦略物資を朝鮮から送り、数年間にわたって多くの部隊と人員が朝鮮の境内を通過して東北の戦域へと派遣された。

 主席は、解放直後に正規武力建設で一丁の武器、1グラムの爆薬も貴重であったが、陳雲、周保中ら中国代表が訪れて提起するすべての問題をその場で解決し、1946年春に10万余丁の武器を送ったのをはじめ何度も各種の武器と弾薬、爆薬、医薬品、軍服の生地と靴など莫大な軍需物資を支援した。

 中国東北民主連軍の指揮官であった周保中は、「1946年夏から1948年まで2年半の間に朝鮮から送られた支援物資は車両2千余台分に及ぶ。当時の状況でこれは実に大したものであり、われわれの解放戦争に回してくれた金日成主席をはじめとする朝鮮人民の私心のない国際主義的支援について、中国人民は絶対に忘れてはならない」と熱く語った。

 1945年11月末、中国の丹東にまで赴いて遼寧軍区司令員をはじめ指揮メンバーを鼓舞し、戦線の根本的転換のための戦略的・戦術的対策を立てた主席の指導は、血で結ばれた朝中友好の崇高な精華であった。

 中国のある図書は、先見の明と科学的洞察力がうかがえる金日成主席の助言は中国軍隊の軍事作戦に大きな助けとなった、そうした意味から見るとき、東北解放戦争の主要作戦の勝利も金日成主席の名と切り離すことができないと叙述した。

 主席の指導に従って数十万の朝鮮青年は、四平、吉林、瀋陽など東北の戦場ごとで比類ない英雄性と犠牲的精神を発揮して赫々たる武功をとどろかせた。

 四平戦闘を通じて国民党軍隊を完全な守勢に追い込んだ朝鮮人部隊とすべての東北人民解放軍は、決定的な攻勢に転じて1948年11月まで中国東北地域を完全に解放した。

 長春解放戦闘後に開かれた模範戦闘員会議参加者の80%が朝鮮人であり、黒山、大好山戦闘で朝鮮人部隊である第28師第84連隊第2大隊第8中隊が「鋼鉄8中隊」の称号を受けて全解放軍にその名声をとどろかした事実などは、東北解放にささげた朝鮮の革命家の不滅の偉勲をよく示している。

 主席が予見した通りに、朝鮮の革命家の参戦は東北地方での革命勢力と反革命勢力間の力関係を画期的に変化させることで、ついに東北解放偉業を成し遂げられるようにし、情勢を有利に転換させて中国革命の勝利に大きく寄与した。

 中国の指導者と中国人民解放軍の指揮官は、朝鮮人部隊でなければ国内戦争初期に東北の難局を打開することができなかったであろうとしながら、五星紅旗には朝鮮人の赤い血が染み込んでいると熱く語った。一方、蒋介石勢力は主席の戦略と戦術に自分らが崩れ、朝鮮が軍隊を送ったため敗れたと悲鳴を上げた。

伝統で輝く朝中友好

 反帝階級闘争の苛烈な戦線で結ばれ、厚くなった両国指導者の熱い同志的信義の中で朝中人民間の伝統的友好と革命的団結は日を追って開花し、絶え間なく昇華した。

 朝中両国の軍隊と人民は、中国東北地方で抗日戦争と中国解放戦争の烈火を共に乗り越えてきた偉勲の伝統を継いで祖国解放戦争(朝鮮戦争)でも固く手を取り合って勇敢に戦って米軍に史上初めてとなる大惨敗を与え、両国革命の貴い獲得物とアジアと世界の平和を誇らしく守り抜いた。

 主席が中国の老世代の指導者と共に築いた伝統的な友好関係は、時代と世代を継いで新世紀にさらに強化され、発展している。

 金正日総書記が今年に行った2回の中国非公式訪問は、長い伝統を持っており、歴史の風波と試練に打ち勝った朝中友好は歳月が流れ、世代が交代しても変わり得ないということをあらためて全世界に示した。

 総書記が今回再び中国を非公式訪問したことにより、中国東北地方とともに輝く主席の革命活動史と業績は両国人民の心の中にいっそう大事に刻み付けられるようになった。

[朝鮮新報 2010.9.21]