趙明禄第1副委員長死去 平壌で国葬 |
朝鮮労働党政治局常務委員会委員、国防委員会第1副委員長、最高人民会議代議員である朝鮮人民軍の趙明禄次帥の葬儀が10日、平壌で国葬として厳かに執り行われた。 趙明禄第1副委員長は、長期間の心臓病により6日、82歳で死去した。 金正日総書記は8日、最高人民会議常任委員会の金永南委員長、朝鮮人民軍の李英鎬総参謀長、党中央軍事委員会の金正恩副委員長、金永春人民武力部長など党と軍隊、国家の幹部らとともに故人の霊前を訪れ、深い哀悼の意を表した。 趙明禄第1副委員長は1928年7月12日、咸鏡北道延社郡で生まれた。朝鮮戦争(1950〜53年)時、朝鮮人民軍飛行士として戦い、戦後、飛行部隊の大隊長、連隊長、師団長、空軍司令部参謀長、司令官の職責を歴任した。 1995年10月から朝鮮人民軍総政治局長、1998年9月から国防委員会第1副委員長の重責を担った。 2000年10月には、金正日総書記の特使としてワシントンを訪れ、クリントン大統領と会談。朝米共同コミュニケが発表された。 趙明禄第1副委員長の死去にともない6日、党中央委員会と党中央軍事委員会、国防委員会、最高人民会議常任委員会は訃告を発表し、卓越した活動家の死去は党と軍隊、人民にとって大きな損失となるとしながら、氏の業績はチュチェ革命偉業の前進とともに末永く輝くであろうと指摘した。 国家葬儀委員会は、委員長に金正日総書記、委員に金正恩副委員長など170人で構成された。 棺は中央労働者会館に安置され、多くの弔問客が訪れて弔意を表した。 故人の亡きがらは愛国烈士陵に安置された。 中国から弔電 中国共産党中央委員会と中国中央軍事委員会は8日、朝鮮労働党中央委員会と国防委員会に弔電を寄せた。 弔電は、趙明禄氏が中朝友好、協力関係の強化発展のために貢献したことに触れ、「趙明禄氏の死去は中国人民にとって古くからの友人を失うこととなる。われわれは彼を永遠に記憶するであろう」と指摘した。 [朝鮮新報 2010.11.19] |