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西海紛争の火種、NLL

 朝鮮西海には朝米間にも、北南間にも合意された海上境界線がない。互いに主張する境目が違うというところに西海が紛争水域となっている大きな原因の一つがある。

 1953年7月27日に締結された停戦協定は、地上の軍事分界線は定めたが、海上にそれを設定することができなかった。

 米国は、李承晩政権の「単独北進」政策を阻む一方、北に向かう南朝鮮漁民らの道を遮断する目的で、当時国連軍司令官だったクラークを仕立てて朝鮮西海海上に「北方限界線」(NLL)を設定するようにした。

 米国の独善的な利害関係によって引かれたNLLは、その存在を長年世に公開することも、交戦相手である朝鮮側に通知することもできなかった。NLL問題が公論化されたきっかけは北南間の武力衝突だった。

 南朝鮮当局はNLLを固守しようと、北側領海に対する侵犯行為を頻繁に行った。その結果、朝鮮西海上では99年6月、02年6月に続き、去年11月にも北南間の軍事衝突があった。

 99年の衝突直後からその年9月まで、これを収拾するための朝米会談が6回にわたって行われた。朝鮮は国際的な規範による境界線の設定案を出して問題解決に努力を傾けたが、米国は問題討議自体に前向きでなかった。朝鮮は9月2日、朝鮮人民軍総参謀部特別報道を通じて、朝鮮が設定した線を西海海上境界線にすることを宣布した。

 2000年の6.15共同宣言発表以後、北と南は海上境界線を公正に定めるための軍部間の会談も行った。

 07年には10.4宣言を通じて、共同漁労水域を指定してこの水域を平和水域にすることと、海州と周辺海域を包括する「西海平和協力特別地帯」を設置することに合意した。

 その直後に開かれた北南人民武力部長級会談(07年11月)でもこの問題が集中的に論議され、引き続き協議していくことにした。

 ところが、西海を平和の海にするための努力は08年2月の李明博政権の発足とともに中断され、北南間の緊張が高まった。このような中で今回の事件が起きた。

[朝鮮新報 2010.12.1]