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〈論調〉 「非核三原則」はもぬけのから

 佐藤栄作元首相の家で、1969年に日本と米国との間で合意された極秘核文書が発見された。

 極秘核文書は、海外膨張野望を抱いて表裏ある行動を取っている日本の反動層の正体をさらけ出すものであり、彼らが唱える「非核三原則」の虚偽性を再度明白に立証している。

 日米間に極秘核文書が作られた時と言えば、当時の佐藤首相が世界に向けて自国は「核兵器を作らず、持ち込ませず、持たず」という「非核三原則」を宣言してから2年が過ぎた時期である。彼は表では「非核三原則」をしきりに唱えながらも、裏では米国と謀議して日本を米国の核基地として委ねた。

 明白なのは、日本の「非核三原則」はもぬけの殻であり、核への野心を隠すための偽装物であるということである。実際に、日本の反動層は見せかけにすぎない「非核三原則」の背後で、核武装化策動を推し進めてきた。

 日本の核武装化策動は、自国の領土に米国の核の持ち込み、備蓄を容認する代価として、米国の黙認、保護の下に行われてきたところにもう一つの重大さがある。佐藤首相が米国のニクソン大統領(当時)と額を合わせて核密約をした事実は、米国と共謀、結託して東北アジア地域で核戦争を起こそうとする日本の反動層の策動がすでに60年代から始まっていたことを示している。

 「非核三原則」のベールをかぶった日本の核武装化策動は、自滅の落とし穴を掘る行為である。(労働新聞9日付論評)

[朝鮮新報 2010.1.20]