top_rogo.gif (16396 bytes)

〈訪朝記 静かなる柳の京を再訪して-下-〉 晴れわたる板門店に銀杏樹の落ち葉の散りて秋の深まる

 2006年に続いて今回もまた板門店と開城市を訪問した。高速道路の中間点にある水曲休憩所でひと息を入れたが、中国人の観光客がバス2台で来訪し、休憩所の土産品店に群がっていた。板門店は開城市の東南8キロにある。寒村だった板門店が有名になったのは、もちろん、朝鮮戦争の停戦会談場になったためである。

板門店(筆者撮影)

 板門店のそれぞれ南北各2キロの非武装地帯(DMZ)の中心地には1951年から53年に停戦会談が行われた会議場と隣接して停戦協定調印場がある。停戦協定調印場は休戦ラインから約1キロ北側の広々した畑の中にあるから、軍事停戦境界線の南側からはいっさい入ることはできない。復元された現在の建物には当時の停戦協定調印時の机、椅子があり、朝鮮国旗と国連旗、文書の現物がプラスチックの箱の中に置いてある。その中に調印の際に米軍のハリソン将軍が忘れていった「国連旗」の現物があって、国連軍が再三返してくれるように言ってきたが、朝鮮側は返却しないのだと言う。

 一方、約1キロ南の停戦ラインが横切るところには軍事停戦委員会会議場と中立国監視委員会会議場がある。国際ニュースに常に登場するのは、この青色の建物と周辺である。

 通訳の金銀鏡さんは、会議場に入ったら突然感極まって泣き出した。この会談場は南北朝鮮人にとっては民族の深い思いのこもった場所なのである。停戦委員会会議場の建物の北側には朝鮮の「統一閣」がある。南側には国連軍の「自由の家」と「平和の家」や「沈床園」が見えて、南側からは大勢の日本人らしい観光客がカメラ片手に見学していた。紅葉の盛りであって、非常に静かな光景であり、この場所が世界注視の緊張の38度線上とは到底考えられない。

感性の磨かれし詩の優雅さに華麗と甘美の朝鮮を見る

 今回の訪問中、私を案内してくれた金銀鏡さんに「平壌の特産品は何ですか」と聞いたら、朝鮮特有の「子はどうですか」という答えだった。

 朝鮮の絹布は昔から外国にも良く知られている。古文書によれば紀元前から絹布の売買が隣国と行われていて、独特の織り方は文様と色が華麗で優美なので高級絹布として賞揚されていた。中でも多彩な縞地に風雅な文様の「多色緞子」は今も晴れ着などにも用いられている。「多色緞子」は朝鮮の秀麗な山河を虹に見立てて、朱、オレンジ、黄、藍、紫、白など5〜7色の縞を織り込んで、チマ・チョゴリにも用いられている。

 薄片の貝殻をさまざまに切ってはめ込んだ「らでん漆工品」も特産品だという。漆工は主として木地に時には金属や素焼きの陶芸品にも使われる。目の粗い麻布、ガーゼを数枚重ねて漆のりで器形に固めた乾漆が好評である。漆器の加飾法はさまざまで、らでんが最も優れている。また漆絵、蒔絵、彫漆のほかに金具、埋め物、これらを混用する加飾法もある。漆工品は、材質が硬くて清雅な趣があって、湿気や化学作用にも良く耐えて、光沢もある。紀元前の古墳からも出土していて高麗時代の四神図色漆棺や松葉型らでん箱は有名である。

 朝鮮は元々、宝石資源に恵まれ、貴重な宝石で装飾品や、工芸品を作ってきた。ユニークで精巧な彫磨術は今日さらに近代化しているが、紫水晶、白水晶、ルビー、黄玉、サファイアなどの装飾品も種類が豊富である。

 高麗青磁、李朝白磁などは工芸磁器と日用磁器いずれも民族色豊かで、朝鮮画独特の淡彩没骨技法によって、下絵と上絵を施している。そのほか「平壌刺繍」や「金銀細工」は朝鮮人特有の細やかな細工と技法で装飾性が豊かである。また、「平壌クリ」は薬効豊かなクリで、昔から高麗薬の重要な原料として用いられているという。

 朝鮮には土産品の定番である「朝鮮人参茶」「朝鮮人参酒」「松茸」「朝鮮タバコ」など以外にも多くの特産品があることをあらためて知った次第である。

 平壌には「平壌八景」というのがあるそうだ。「馬灘の雪解け」「乙密台の春」「浮碧楼の月」「大同江の舟遊び」「普通江の送別」「竜岳山の森」「愛蓮堂の雨景」「永明寺のあかね空」の8つをいう。浮碧楼に遊んだ11世紀高麗時代の詩人金黄元は楼閣に掛けられていた自分の詩歌がどれも気にいらず、全部焼き払った。そして苦悩の末に詠じたが、あまりの絶佳な周囲の風景に圧倒されて絶句し、筆を折ったということだ。

 長城一面溶々水
 大野東頭点々山

 この詩は「長城の下、大河は悠々と流れて大野の東には丘陵が点々と立つ」という意味で、このあとには「外国の冠、人民は凛々と退けて、豊麗の国、誉れは洋々と渡る…」と続くのである。

 今も大同門と平壌鐘閣の横「練光亭」に掛けられているこの詩歌は、彼の優れた才能と、その時の無念の想いを偲ばせているのだという。将来、日本人も気楽に平壌に行ってこうした風景に気軽に接することができたら良いなと思った。(小久保晴行、評論家、歌人、経営学博士)

[朝鮮新報 2010.2.5]