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〈検証 日本メディアの「北朝鮮」報道 上〉 「ジャーナリズムの原則」から逸脱

〜テレビによる09年「ミサイル」発射報道再考〜

戦後最悪の日朝関係招く

 近年の日本における「北朝鮮」報道は、「ジャーナリズムの原則」から逸脱した非正常な状態が続いている。これは、例えば1988年10月の「パチンコ疑惑」、1994年4月の「核疑惑」、1998年9月の「テポドン発射」の前後など、過去およそ20年の報道に見られる傾向であるが、とりわけ2002年9月17日の日朝首脳会談で朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)側が日本人拉致を認め謝罪して以降のメディアによる「朝鮮叩き」は、それまでの報道と比べても大幅に増加し、内容も激しくなっている。

 加えて、「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(以下、拉致議連)および朝日新聞、読売新聞など大新聞やテレビ局などの企業メディアと、報道に大きな影響を受けた民間人が「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」の世論を盛り上げ、瞬く間に日本を覆い尽くした。

 これにより、2002年に日朝で妥結した「日朝平壌宣言」に則った国交回復正常化プロセスは一向に進まないどころか逆コースをたどり、日朝関係は、日本による経済制裁発動・延長など戦後最悪の状態となった。

 また、拉致問題と直接関係のない在日朝鮮人社会において、朝鮮学校の生徒・関係者に甚大な被害(脅迫・暴行・威力業務妨害など)が発生し、朝鮮高級学校「無償化」問題も解決していない。

 朝鮮の元山と日本の新潟を結ぶ定期船(「万景峰92」号)運航停止は継続され、朝鮮に居住する親族に会えなくなるなど、深刻な人権問題が発生している。

 このような社会的背景がある中、09年4月5日の朝鮮によるロケット(人工衛星「光明星2号」を積んだロケット「銀河2号」)発射において、またも朝鮮に対する激しいバッシング&道が日本メディアによって繰り返された。

 一連の報道は、迎撃ミサイル配備の映像がテレビで継続して流されるなど、まるで日本と朝鮮の間で戦争が始まったかのような「朝鮮有事報道」でもあった。

 約1年経った現在、09年4月の「ロケット発射」報道(4月3〜6日の4日間)を中心に「北朝鮮」報道を再検証してみたい。

 なお、本稿は筆者らが進めている「日本メディアによる『北朝鮮』報道の共同研究」(共同研究者は筆者のほか小渕由紀子および小林塁=同志社大学大学院。成果の一部は、今年7月3日の日本 マス・コミュニケーション学会春季研究発表会で発表)の成果の一部に、筆者が加筆・修正したものである。

巧妙なイメージ操作

 まず、ロケットがメディアによってどう呼称されていたかを分析した。その結果は、「ミサイル」が26%、単に「発射」が25%、「飛翔体」が25%を占めた一方、「人工衛星」は8%、「ロケット」はわずか5%というものだった。

 報道ではミサイルを連想させる「着弾」という用語も使われていた。また、メディアが「人工衛星」と呼称する場合は、大部分が「北朝鮮が人工衛星と主張する…」などという説明付き≠ナあった。メディア自身が、朝鮮が発射したものはミサイルであるという強い思い込みを前提に報道していたことが伺われる。

 また、「発射されたもの=ミサイル」というイメージ規定に決定的な役割を果たしたのが、スーパー(画面上の文字情報)と映像であった。報道内でのレポートや解説がどうであれ、画面上に長時間「ミサイル」「人工衛星=v「人工衛星?」などが繰り返し使用されていた。加えて、合間に挟まれるのは、過去の「テポドン」発射映像や日本の自衛隊による迎撃措置配備態勢、嘉手納基地から離陸する米軍機などの映像であった。これらの相乗効果で、番組視聴者に「発射されたもの=ミサイル=危険」というイメージを強く残した。

 また、朝夕の情報番組やワイドショーで見られた、ミサイル#ュ射に備えて避難訓練する幼稚園児や、住宅街を進むPAC3(パトリオットミサイル)の映像などが、視聴者へ植えつけたイメージも大きな影響を与えたといえる。

 朝鮮のイメージを説明する映像としては、その多くが@金正日国防委員長A軍事パレードB舞水端里のロケット発射基地C過去の「テポドン」打ち上げ時D画面いっぱいにはためく朝鮮の国旗E朝鮮中央テレビのアナウンサーの映像であった。これらを部分的かつ反復的に多用することで、「攻撃的かつ理解しがたい独裁国家」というイメージを作り出していた。

 また、映像と一緒に使用される音響効果についても、例えば、テレビ朝日の「報道ステーション」では、犯罪報道など他分野でも使われる暗いイメージを連想させる音楽が、朝鮮に関する報道時にも使われていた。日常的に報道ステーションに慣れ親しんでいる視聴者にとっては、このBGMは、朝鮮のイメージを醸成する補助線を引く役割を担っている。また、あえて無音時間を長くとることで、「朝鮮の異様さ」を演出する場面もあった。

 メディアが作り出した「ミサイル」と「北朝鮮」のイメージは相互に作用・補強し合い、あたかも皮下注射のように、ネガティブな朝鮮像を視聴者へ注ぎ込んでいたと指摘できよう。(森類臣・同志社大学嘱託講師)

[朝鮮新報 2010.7.23]