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〈みたび柳の京を訪れて-下-〉 心を打つ古代朝鮮人の感性

高句麗の始祖の陵訪いあらためて 歴史の重みいま感無量

東明王陵(筆者撮影)

 私は翌朝、平壌から車で東に約30キロ離れた東明王陵を訪れた。王陵は高句麗の始祖東明王の墳墓で、230ヘクタールの敷地があり、王陵と臣下たちの墓地、定陵寺区域からなっていた。

 現在の王陵と定陵寺は1993年に全面的に改築されたもので、墳墓もよく整備され、寺院の建築物もいまだ真新しい感じがした。正面の丘の上の王陵は160個の大きな石を32平方メートルにわたって積み上げた基墳の上に、大きな盛り土をほどこして芝生が植栽されていた。墳墓は高さが11.5メートルという立派なものであった。

 墓前の左右両側には文武官や虎、馬などの石彫群が立ち並び、陵墓の前面には石造りの祭壇が置かれて、その両側に望柱石が整然と建てられていた。王陵を取り囲むように広大な敷地内には、臣下の墳墓群が残されている。王陵の左手の祭堂には、始祖の生涯を描いた絵画、高句麗人の民族風俗画や軍事的功績を描いた絵がたくさん飾られていた。

 王陵の正面から200メートルほど坂道を降ると、約1万平方メートルの敷地が定陵寺の境内であり、普光殿、竜華殿、極楽殿が回廊で囲まれて建っていた。定陵寺は昔はもっと広大なものだったがその一部を、1993年に復元建設したもので、各拝殿内には、真新しい金色の釈迦三像や羅漢像が安置されていた。

 係員の説明によると、東明王陵は植民地時代、日本人が古墳の研究調査と称して王陵や臣下の墳墓内に入り込み、多くの重要な埋葬品を持ち去っていったということだった。現在、壁画以外には、往時の青銅、玉石、陶器の壷、純金花文装飾品と王冠の飾りの一部、虎や鹿の化石や骨などが遺品として残されているだけだという。

 これまでに知られた高句麗時代の墳墓壁画は80基あると言われているが、このうち約60基が平壌周辺に点在している。高句麗は3世紀頃から滅亡する7世紀中頃までに多くの壁画群を造ったが平壌一帯にはその全期間のものが残っていて、多くが世界遺産に登録されている。その題材を見ると、4〜5世紀時代のものには人物・風俗画、人物・風俗と四神図が描かれているが、それ以降には四神図だけが描かれるようになった。

朝鮮の深き文化は高句麗の壁画を観ての息も詰まりぬ

江西三墓「玄武図」(筆者撮影)

 今回私が見ることができた壁画は南浦市江西区域三墓里の江西三墓であった。6世紀末から7世紀初にかけて築かれた古墳の四神図で、貴族は自らの「権威」を誇り、古墳を守護するかのように内壁の東に青龍、西に白虎、南には朱雀、北に玄武という想像上の神獣四神を描いた。

 中でも有名なのが江西三墓の壁画である。墳墓の外部は灼熱の暑さだったが墳墓の中は冷風が吹いていて寒かった。画の中心部が保護のために強化ガラスで覆われていたが、よく管理されていた。

 青龍は、朝鮮画独特の簡潔だが鋭いタッチの伝統的画法が生かされていた。力強く持ちあげた前脚、鋭い爪、炎を上げる翼、力に溢れた尾など、青龍の生き生きした生態と恐ろしく速く走ろうとする躍動感を表現していた。

 玄武は、北の方位の神として、亀と蛇を幻想的な手法で描いたものである。亀に巻きついた蛇は、力強く弧を描きながら壁面中央で亀と頭を突きあわせている。亀の弾力に富んだ体の曲線や甲羅の調和のとれた六角模様などは素晴らしいタッチである。

 さらに、白虎は、幻想的な動物であるにもかかわらず猛獣の猛々しさがよく表現されている。思い切り振り上げた前脚と踏ん張った爪、炎のようになびく毛、ふしぶしに力の篭った長い尾、これら猛獣の特徴に加えて、冷たい色彩の白色が虎の荒々しい感じを実によく捉えられていて圧巻であった。今にも画面の中から飛び出してくるかのような迫力があった。

 このように色彩と簡素化されたタッチで神獣の特徴と性質をダイナミックに表現できた朝鮮の古代人の感性に敬意を表したい。

 また天人図は4人の天女が盆を持ち、笛を吹きながら天を舞っている図であるが、緩やかな頬と優雅な姿態の身のこなし、透き通るような羽衣を靡かせて舞う姿には魅了される。高句麗壁画の水準の高さに心を奪われて言葉もなかった。これらの壁画を眺めながら、このような優れた文化を持った隣人たちとわれわれが友誼を深めないということはあり得ない。日朝友好は急務の課題であり、是非、文化の交流を促進しなければならないと思料した。

 墳墓に深い感銘を受けたあと、引き続いて「金日成総合大学電子図書館」を訪問した。インターネット機能を完全駆使した先端的図書館で、膨大な量の図書類の検索は勿論のこと、講演や講義もインターネットで行える総合的な機能を完備した大学施設である。朝鮮の未来はこの大学にある。

 平壌市は260平方キロメートル、現在人口も310万人に増えた巨大都市であり、さまざまな都市問題もあると、今回の訪問中に面談した呂虎哲・平壌市対外事業局長から伺った。また、みたび訪れた板門店の軍事境界線では、警備兵が北側も南側も皆、鉄カブトを被っていて極めて緊張していた。

 訪朝中に表敬訪問した洪善玉・対文協副委員長のお話でも「現在朝・日関係は最悪であり、日本は米韓と結託して、徹底して朝鮮敵視政策をとっている。日本は敗戦以来65年間、朝鮮人民に対して、過去の清算、謝罪、反省を一切行わず、何も解決してはいない」という厳しい現実認識を示していた。

 厳しく移り変わる状況の中で日朝友好、正常化への国交実現への道はさらに険しい諸問題を抱えている。しかし、確実に朝鮮とこれを取り巻く国際情勢は変化している。今回の訪朝を通じて日本もこれに正しく対応していかなければならないと痛感した。(小久保晴行、作家、画家、歌人、経済学博士)

[朝鮮新報 2010.9.1]