13年ぶりの訪朝 世界各国から観光客 「制裁」 どこ吹く風 |
その昔禿山なりし朝鮮がいま青々と眼下をよぎる
今なお残る日本軍による戦争犯罪。今夏、平壌でその証言会が開かれるというので、それの傍聴に現地入りする同志社大学の浅野健一教授に同行し、訪朝した。 日本政府は今、「拉致・核・ミサイル」を理由に朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)に最大限の経済制裁を科している。ネットを開くと、外務省が日本国民に対してなるべく訪朝を自粛してほしいと呼びかけている。表向きは、日朝間にはまだ国交がないので、もしも朝鮮国内で予期せぬ事故に遭っても、日本外務省が「邦人保護」に乗り出す足場とする大使館も領事館もなくあなた方を保護する手立てがないのだ、だから自粛が望ましいという論理だ。 しかしこうした呼びかけ自体、一般国民にとっては、「お前たち朝鮮には行くなよ。危険だぞ」と国家権力から脅されているような気分にならないか。筆者は何か幕末の鎖国時代に国禁を犯して黒船に乗って遠つ国に向かうようなときめきさえ感じたのだが。
しかし日本政府のこの論理には、どこかにまやかしを感じてしまう。確かに旅券(パスポート)には、「わが国の国民が貴国に行くので、安全に旅をさせてやってくれ」という意味の文章が印刷されている。相手国が査証(ビザ)を発給するのは、「よし引き受けた。心配するな」という意思表示だ。だから北京で一泊して翌朝、同地の朝鮮大使館でビザの発給を受けたということは、朝鮮側から言えば、「別に日本政府から頼まれたわけじゃないけど日本人よ、お前の身柄の安全はわれわれが十分責任を持って保証してやるぞ、心配するな」ということになる。そうなれば「訪朝自粛要請」などは日本政府のいらぬお節介ということになる。
実は筆者の恥をさらす告白。筆者は今回が13年ぶり2回目の訪朝だが、前回、前夜に飲み過ぎたのと水に慣れなかったせいか、体調を崩して脱水状態に陥った。深夜、服務員に付き添われてとあるこぢんまりした医院に連れられて行った。当直の中年の女医から診察と注射を受け、クスリ(確かドイツ製だった)をもらってホテルへ戻り、間もなく回復した。医院から帰りがけに「料金は」と聞くと、「朝鮮での医療はすべて無料です」と説明された。帰国して家内から、「朝鮮の食糧事情が心配だとか言うくせに、飲み過ぎて寝込んだんじゃ世話ないよ。あんたのヒューマニズムが聞いてあきれる」と言って叱られた次第。 ビザをもらったその足で北京空港へ向かった。北京発平壌行きの高麗航空機は日中間を飛ぶジェット機に比べてかなり小ぶりなロシア製ツボレフ機。座席は左右3人掛け×2=6人で、通路は真ん中に一本だけだ。機内はアジア人より西洋人が多数を占めていたような気がする。世界各国は日本政府による「自粛要請」などどこ吹く風、日本政府にすればまことに嘆かわしいと言うべきか。いや日本の対朝鮮制裁がどこかピンボケなのではないか。 途中、機体は乱気流に遭遇し、しばらくの間大きく揺れた。座席に隣り合わせた関西の大学で朝鮮語を教えているという日本人女性が、「今の乗務員女性の朝鮮語案内がふるっていました。皆さん前方に乱気流があり、機体が大きく揺れますが、革命的精神で乗り切ってくださいだって」。そうか彼女らのこういう革命的ユーモアこそ英語でもやってほしいなあ。親切な隣の先生が教えてくれなかったら知らずに過ぎるところだった。 さて今回の訪朝では、前述の証言集会と幹部会見のほか、万景台の金日成主席生家、平壌産院、革命博物館、三大革命展示館、金日成総合大学の電子図書館やプール、名物「アリラン」公演などを見学して、大いに感銘を受けた。街には、近く迎える朝鮮労働党代表者会を讃えるスローガンが各所に見えたが、これらの報告は別の機会とする。(長沼節夫、ジャーナリスト、冒頭の短歌とも筆者) ※写真=筆者提供 [朝鮮新報 2010.9.8] |