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若きアーティストたち(75)

カメラマン 金壮龍さん

 遠足、キャンプ、修学旅行など、何か行事があるたびその思い出を形に残そうとカメラのシャッターを押す。被写体にレンズを向けるとみなとびきりの笑顔を見せる。それを後で見るとその場面場面が思い出され、楽しさは2倍にふくれ上がる。

 そんな写真を撮るのが昔から好きだったという金さん。カメラマンとして生きていく決心をしたのは朝高2年の頃。夏に学校が企画したオーストラリアへの短期語学留学に参加した。大自然の美しい景色や街並みが金さんを魅了し、その風景を夢中で撮影した。

 日本に帰って自分が撮った写真を学校の友人に見せると、思いのほか好評だった。それがうれしくて、その日以来写真を撮ることに快感を覚えていった。「もしオーストラリアに行かなかったらカメラマンにはなっていない」と当時を振り返る。

 「かっこいい」というばく然としたイメージだけをもってこの世界に飛び込んだ。朝高卒業後、2年間大阪の専門学校に通い東京のレンタルスタジオで出版社のカメラマンの手伝いなどをし、アシスタントとして働いた。現場での仕事は毎日が刺激的だった。

 しかし、撮影の仕事は思いのほかハードだった。

 「忙しいときは長くて23時間働いた。その後、3時間くらい仮眠をとってまた16時間くらい働いたり…」

サーキュラ・キー(豪州・シドニー)のオフィス街(撮影=金壮龍

 あらゆる機材を積んだ重い荷物を持っての移動も一苦労だ。「何が大変かと言えば、荷物を持っての移動。カメラマンは本当に体力の勝負だ」

 1人暮らしをしながら、多忙な日々に心が折れそうになるときもあった。それでも毎日楽しかったと笑顔で話す。

 1年後、スタジオを出てフリーカメラマンとして活動を開始。少しでも仕事を増やそうと出版社などに足を運び積極的にアピールした。今では番組のホームページ、学校のパンフレット、雑誌の撮影の仕事などを主に受け持っている。

 撮影でしか行けないような場所に行けるのもこの仕事のおもしろいところ。

 ある時、北海道の学校の修学旅行に3泊4日で付きっ切りの撮影をしたことがあった。突然見知らぬ人が一緒に行動をするので、最初、生徒たちはとまどい、レンズを向けても逃げ出してしまった。「まずはコミュニケーションを取るのが大事だ」と気づき、生徒たちに話しかけ、場を和ませた。そうすると3、4日目には心を開き、自らカメラに写ろうとしてきた。

 「名を売って有名なカメラマンになりたいという欲はない。フリーなだけに多様なジャンルの仕事に挑みたい。いろんな場所に行って、そこでさまざまな人に出会っていろんな話ができる。だから何時間働いても飽きない。どんなに大変でも仕事が苦だと思ったことは一度もない」と話す。そのポジティブな姿勢が、笑顔の溢れる空間を自然に作っていくのだろう。(文と写真・尹梨奈)

※1984年5月12日生まれ。明石朝鮮初級学校、神戸朝鮮初中級学校中級部、神戸朝鮮高級学校卒業。大阪ビジュアルアーツ専門学校を卒業後、現在フリーカメラマンとして活動中。

[朝鮮新報 2010.10.18]