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〈本の紹介〉 福沢諭吉−国権拡張脱亜の果て

「ナチに匹敵するアジア観」

 4半世紀にわたって福沢諭吉の肖像が1万円札に刷り込まれ流通しているのは、「学問のすすめ」「文明論の概略」「西洋事情」「世界国尽」などの著作を物した明治の代表的な教育者、啓蒙思想家、ジャーナリストであり日本近代化に大きく貢献した功労者だから−と、一般的には思われている。

 しかし、それは虚像であって実像ではない。

 カリスマ的政治学者丸山眞男の「明治における典型的な市民的自由主義」だとする評価や、羽仁史学の開祖羽仁五郎が福沢の平和論もどきを援用して反戦論を展開した事実などによる、誤った福沢論の常識化に反して、本書はそれらを主とする誤謬を正して「日本が犯した対外的な罪を深く認識し、それを心に刻む」(著者の言葉)ことをモチーフにして書かれている。

 著者の独創的な福沢論は、その代表作と目されている前述の4冊の著書を除いて彼の思想的本質が圧縮されている「時事新報」に掲載された論説群に焦点を当てているところにある。

 本書は第1章「対外論」、第2章「朝鮮・中国論」、第3章「台湾論」の3つの章から成り立っている。この構成で特徴的なのは、福沢の論説をジャンル別・年代別に分けて原文そのままを並列し、それに簡明な解説と注釈を付すという方法をとっていることである。

 つまり、原文をじかに読むことで福沢の思想を偏見なく解釈してほしいというのが著者の意図であると言える。著者の福沢論は「福沢諭吉と朝鮮・中国・台湾」と題する約60nの解説で述べられているのだが、それを要約すれば、日本を東方の盟主と呼称し、明治政府の開化政策、富国強兵、資本主義=帝国主義政策、朝鮮と中国への侵略政策を積極的に支持した、「時にはナチにさえ匹敵する政策論・アジア観を呼号しつづけた」イデオローグであるという、正鵠を得た見解である。

 本稿では朝鮮論のみを取り上げることにして、まず、福沢がいかに朝鮮を蔑視したかを見てみる。

 「朝鮮国…国にして国に非ず」「朝鮮…南洋の土人にも譲らず」「朝鮮…人民は牛馬豚犬に異ならず」

 これは人間としての品位を疑わしめる罵詈雑言以外の何ものでもない。朝鮮をこのように捉えて「隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従って処分す可きのみ」と、「弱肉強食こそ国交際の真面目」という持論どおり、露骨に朝鮮侵略を明治政府に使嗾している。

 本書でとくに注目したいのは、甲午農民戦争(著者は東学農民戦争としている)に対する福沢の態度である。著者はこの戦争について「…朝鮮の近代国家へ向けての序奏となるべき運動であった」(傍点著者)と正当に評価し、日本の介入がなかったなら朝鮮の近代化は達成されたと確信的に推論している。筆者もまったく同感である。

 ところが福沢は、「所謂百姓一揆の類」「賊徒」「高の知れたる烏合の乱民」と断定し農民軍弾圧の日本軍の侵攻を求め、農民軍を「向後悉ク殺戮スベシ」という日本軍大本営の命令を容認し、朝鮮近代化の芽を摘む役割を果たした。

 「脱亜論」に集成されている福沢諭吉の思想を、今批判する作業は、朝・日間に堆積する未解決の諸問題(それらはすべて日本に責任がある)を洗いざらい掘り起こして解決するうえで、極めて有意義である。

 なぜならば、ウルトラ・ナショナリズムを基盤とする福沢の朝鮮侵略思想、ひいてはアジア全域への侵略思想が、日清戦争、日露戦争、そして朝鮮植民地化、中国侵略戦争、東南アジア侵略戦争を招き、そこから生じた罪禍が未だに清算されていないといっても過言ではないからである。

 簡明にして要を得た注釈・解説を柱とし、詳細な参考文献を添えた398ページの本書上梓の今日的意義は大きいと言わねばならない。(杉原聡編、明石書店、3800円+税、TEL 03・5818・1171)(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2010.12.17]