top_rogo.gif (16396 bytes)

〈2010W杯〉 新宿 「『愛国歌』斉唱に誇りを感じた」

 新宿の同胞飲食店には渋・世、新宿、中・杉支部をはじめとする同胞約110人が、2002年の「日・韓ワールドカップ」で東京の応援の「聖地」として盛り上がった大久保の韓国料理店には、安英学選手の同級生をはじめとする約50人の同胞青年が集結。朝鮮代表にエールを送った。

 新宿は大型スクリーンが設置され、貸切での応援会となった。在日選手が紹介される度に大きな拍手が上がった。

 「『愛国歌』が流れた時、鳥肌がたった。朝鮮代表選手と共に『愛国歌』を歌うことに誇りを感じる」と、渋・世青商会の白基憲会長は話す。白会長は、「愛国歌」を一緒に歌うために仕事の合間を縫って新宿に駆けつけた。

 「44年前の借りを返そう!」

 「熱い応援で勝利を勝ち取ろう!」

 会場には必勝を願う掛け声が響いた。

 「ロナウドより大世のほうがタイプ」という同胞女性の声もあった。

 前半は度々訪れる好機に会場のボルテージも上がった。

 後半、3失点直後には、「ここからの逆転こそ本当のリベンジだ」という声が上がり、選手を鼓舞する声は絶えなかった。しかし、以降はブラジル戦で見せたような意地の一発を望む声が溢れた。

 民団青年部のメンバーも朝鮮代表に熱い視線を送っていた。

 後輩を連れて観戦した民団青年部の鄭成道さんは、決勝戦での南北対決を夢見ていたとしながら、「南北が同時にアジアの代表としてワールドカップに出場したことに意義がある」と述べた。また、アジアでの力を証明した両チームがひとつになればもっと大きなサプライズを起こせるだろうと言った。

 「パクチソン選手のラストパスを鄭大世選手が豪快に決める。考えただけで心が躍る」―鄭さんは、そんな未来を描いていた。

 朝鮮が、グループリーグを突破するためには勝ち点1以上が最低条件だった。

 ある同胞青年は、「どんなリスクを冒してでもゴールを得なければいけない場面だったので、失点を嘆くことはない。選手たちは最後までよく走った。夢を与えてくれた」と語った。

 応援団は会場を去りながら、「今度は自分たちが後輩に素敵な夢を与えられるように、地域活動に尽力しよう」と話していた。(丘)

[朝鮮新報 2010.6.22]