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〈2010W杯〉 「私たちのW杯」

 朝鮮の44年ぶりのW杯は、在日同胞の鄭大世選手の涙で幕を開けた。世界最高の舞台に響いた「愛国歌」に感極まり流したそれは、ポルトガル戦後は悔し涙に変わった。

 優勝候補筆頭のブラジルに一矢を報い世界を驚かせたが、ポルトガルには記録的な大敗を喫し、コートジボワールには個々の能力の差を見せつけられた。世界の壁は高かった。それが朝鮮代表の現在地である。

 1994年W杯米国大会アジア最終予選を最後に、国内の苦しい経済状況が、朝鮮代表をアジアの舞台から遠のかせた。10年間の「空白期」を経て2006年ドイツ大会予選を戦ったが、その時は中東の壁に跳ね返された。

 そして今回。アジア最終予選の「死のグループ」を生き残り、手にした切符だった。国際試合を組みにくい朝鮮にとって、世界の強豪と戦うのは、44年ぶりだ。数字には表れないが、世界のひのき舞台でスタープレーヤーたちと真剣勝負したこの経験は、今後の朝鮮サッカーの糧に必ずなるはずだ。

 日本では、スポーツ解説者たちの朝鮮代表に対する好意的な発言が目立った。2002年以降の両国の関係を鑑みれば、それは異例なことだと言える。Jリーガーである在日選手2人がプレーしていたことがその大きな理由かもしれないが、「3強1弱」といわれたグループGで見せた、ひたむきに強豪に食らいつく愚直な姿勢が、少なくない感動を呼び起こしたからではなかったか。コートジボワール戦、テレビに映し出されたスタンドでは、朝鮮国旗を振る外国人たちがいたほどだ。

 そして、とくに朝鮮学校を卒業した在日同胞たちにとっては、これほどW杯を身近に感じたことはなかったのではないだろうか。スタープレーヤーたちの祭典であったW杯を、肩に力をこめてのどをからしながら応援する、「私たちのW杯」にしてくれた朝鮮代表に感謝したい。(茂)

[朝鮮新報 2010.7.5]