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初のW杯を振り返る 鄭大世、代表は自分の信念を試す場所

ドイツ・ボーフム移籍

 在日同胞の鄭大世選手が7日、取材に応じ、朝鮮代表として臨んだW杯南アフリカ大会を振り返った。鄭選手は、初戦のブラジル戦での国歌斉唱で涙した理由や、世界のトップ選手たちとの闘いの中で感じた手ごたえことなどを語った。鄭選手はブンデスリーガ(ドイツリーグ)2部のVfLボーフムに移籍した。

−朝鮮学校の卒業生として初めてW杯に出場した。

 私はこれまで自分のためにサッカーをしてきた。自分の夢、目標を達成するために、全力で努力を積み重ねてきた。

 ずっと前だけを向いてサッカーをしてきたが、朝鮮代表としてW杯に出場するという夢を達成して後を振り返ったときに、本当に多くの人たちの存在があった。家族、友達、恩師、支えてくれた多くの人たち、そして朝鮮学校の幼い子どもたちもたくさん応援してくれた。

 そういう人たちがいるんだということを改めて知った今、自分のためだけではなく、応援してくれるすべての人たちのためにサッカーをしていきたい。

−幼い頃から朝鮮学校で学び育った鄭選手にとって、代表とは。

 当たり前のように目指したのは朝鮮代表だった。私の原点は朝鮮学校。他の国に比べて、朝鮮は環境的に恵まれているわけではない。お金の面でもそうだ。でも環境やお金を求めて代表を目指しているわけではない。代表は自分の信念を試す場所だから。

−ブラジル戦の国歌斉唱での涙は全世界に中継された。

鄭選手はW杯で、世界の強豪相手に何度もゴールに迫った

 自然と出た涙だった。あの涙を言葉で説明するのは難しい。

 朝鮮代表としてW杯に出場するという幼い頃からの夢を成し遂げられて、その相手がブラジルであるといううれしさ、それにこれまで多くの壁を乗り越えてきた自分のサッカー人生を振り返っていた。

 あの時、両親の顔が真っ先に浮かんだ。

 朝鮮大学校にまで送ってくれて、本当に感謝している。

 あの日、スタジアムにオモニも、高校時代(愛知朝鮮中高級学校)の李太繩ト督も来てくれていて、その前で自分の目標がかない、感動を抑えられなかった。

−実はスタンドで見ていた、恩師の李太繧ウんも泣いていたという話を聞いたと思うが。

 「たぶん今、李太辮謳カも泣いているんだろうな」と、泣きながら想像していた。だから、翌日に先生から話を聞いたときに、驚くことはなかった(笑)。先生もよく泣くから。

−W杯を振り返ってもらいたい。大会前、「1試合1ゴール」を目標にしていたが。

 あまりに高い目標だったが、1試合に1回はチャンスがあった。それを自分がものにできるかできないかであったが、今大会では1つもゴールできなかった。それが今の自分の能力、とくに精神的な水準だと感じている。

 もし同じ場面がJリーグで訪れたなら、たぶんゴールできていたはず。でもあのような大舞台で、プレッシャーのなかで、緊張のあまり気持ちが震えていたから、決められなかった。これまで感じたことのない初めての緊張感の中で、ゴール前で冷静な判断ができなかった。

−世界トップクラスのチームと戦ってみての手ごたえは。

 フィジカルやスピード面では十分に通じると思ったが、平均的な能力が足りない、大きな差があると感じた。ゴール前での冷静さ、技術的な面で課題も多く残った。世界水準の相手を圧倒するためには、技術的な正確性を高めなければならない。

 ブラジル戦のアシストについて話すなら、あれはゴールを決めたチ・ユンナム選手がうまかった。私はボールを頭で落しただけ。90分間の試合の中で、何度もゴールシーンを想定したけれど、その中の一つがうまくいったに過ぎない。

−今回、ブンデスリーガ(ドイツリーグ)2部のボーフムへの移籍が決まった。

 W杯前のギリシャとの試合がきっかけとなりオファーが来たが、決断するまでにかなり時間がかかった。理由は、2部だったから。それにW杯で1ゴールでもあげて活躍できれば、もっと大きなクラブからオファーが来るかもしれないという夢もあり、返答を保留していた。

 でも最初にレベルの高いチームに行ったら、環境に慣れられず試合に出られなくて日本に戻ってくることになるかもしれない。それよりも、私のことを好いてくれている監督が率いるボーフムに移籍して、そこでヨーロッパのサッカーに慣れて、上のチームにステップアップしていければ。

 移籍すべきか本当に迷ったし判断するのは難しかったけど、結果的にうまく行かず失敗したとしても、後悔しない道を選ぼうと、移籍を決意した。

−鄭選手が「自分の原点」だと話す朝鮮学校の子どもたちに、どんなことを伝えたいか。

 私はこれまで、無意識にだけど、誰も歩いたことのない道を歩いてきた。これからは後輩たちが、私の作った道に続いて、そしてそれを乗り越えて新しい道を作って行ってほしい。(聞き手・鄭茂憲記者)

[朝鮮新報 2010.7.21]