〈2010インターハイ〉 会場から ボクシングで広がる交流 |
既報のように、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)のボクシング競技(7月28日〜8月3日、沖縄)に東京、大阪、神戸の朝高ボクサー7選手が出場し、熱戦を繰り広げた。多くの人に力を与えた朝高選手たちの活躍は、監督や保護者、OBたちの協力、日本学校の監督や選手、ボクシング関係者との交流に支えられている。
きっかけは息子の試合
沖縄県豊見城市で行われたインターハイ・ボクシング競技の会場には、神戸朝鮮高級学校ボクシング部後援会(2008年発足)周沿革顧問の姿があった。 周顧問は、2006年に同部から初めて「国体」に参加した周光植選手(同大会3位)のアボジ。初めて周選手の試合を観戦して以来、毎年かかさずボクシング選抜大会、「国体」、インターハイ会場に足を運び、朝高生に熱いエールを送っている。 「光植はすでに卒業したが、奮闘する朝高生の姿はまるで息子のようなものだから」と笑顔を浮かべる。 息子の試合を観戦するまでは、「高校生の大会だから」と大して感心を寄せていなかった。だが、熱気と歓声に包まれる会場の雰囲気に衝撃を覚えたという。「何よりも、見ず知らずの息子に声援を送る兵庫県の各日本学校の保護者やアマチュアボクシング協会役員、他校の監督、コーチらの姿に驚いた。朝・日関係が緊張状態にあるなかでも、同じ県だというだけで、ともに朝高選手を応援する日本の人々の姿に胸を打たれた」と話す。 試合後、あいさつを交わした日本学校生徒の保護者、関係者たちとは、その後も少しずつ親交を深め、今も定期的な交流の場を設けているという。 周顧問は、「朝鮮学校の『無償化』除外が懸念されるこういう時代だからこそ、相互理解を目指し自分のできることを積極的にみつけていきたい」と語る。また、「草の根交流の中で朝高ボクシングの良さを広めていけたら」と目を輝かせる。 「朝高ボクシング部は今年も果敢に戦って、朝鮮学校の存在感を示してくれた。忙しい中でも、彼らの育成に常に熱心に取り組む教員の姿にも、日々勇気と感動をもらった」(周顧問)
日常の交流が差別なくす
朝高選手たちが敗退した翌日の会場では、「ケーソクチョンジン(継続前進)」と朝鮮語の声援が響き渡っていた。リングで戦うのは西宮香風高校(兵庫)の野邊優作選手(ライトフライ級)。熱い声援を送っていたのは神戸朝高ボクシング部だった。 近くで様子を見ていたある選手(新潟県、2年)は、「国や言葉が違うのに、同じ県代表というだけでこれほど応援している姿を見たのは初めて。驚いたし、感心した」と話した。 近年、兵庫県の各校ボクシング部では、日ごろから連携を取り合いながら、地域をあげて強化発展に努めてきた。なかでも神戸朝高と西宮香風高校は、7〜8年前から合同練習や情報交換を頻繁に行いながら、互いに切磋琢磨してきた。とくに、代表チームとして出場する「国体」への朝鮮学校の参加が認められてからは、こうした交流がより活発になった。 西宮香風高校の友野聡一監督は「金監督の教育理念や指導方法に深く共感している。特に、朝鮮学校の国体参加が認められてからは、それにむけた計画的な強化策を練り、週に1〜2回の合同練習や、定期的な遠征を通して互いに成長してきた」と話す。 「練習中はそれぞれアドバイスしあうなど、親しい先輩後輩のような関係」と西宮香風高校の下坂勇人選手(ミドル級、2年)は笑顔で語る。 西宮香風高校生徒らも、神戸朝高選手の試合中はひときわ大きな声援を送った。同高・権卓良選手(ライト級)は、同胞が沖縄まで応援に来られないなか、「彼らの声援が本当に大きな励みになった」と話した。 朝鮮学校の「国体」参加が正式に認められたのは2006年。その権利獲得の背景には、日本のスポーツ関係者らの大きな後押しがあった。朝鮮学校への「無償化」除外の問題に関心が寄せられる現在、友野監督は署名運動に真っ先に賛同したうちの一人で、当初から活動を積極的に支援してきた。 友野監督は、「背景は違っても同じ高校生。朝鮮学校だけを『無償化』から除外するということは差別としか思えない。こうした状況で、生徒たちが差別の目を持たないようにするには、日常の何気ないふれあいや頻繁な交流から相互理解を育むのが大切」と強調する。(周未來記者) [朝鮮新報 2010.8.6] |