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春・夏・秋・冬

 先週、東京で朝鮮と総連が共同制作した映画「東海の歌」の試写会があった。故韓徳銖議長を主人公にして、祖国解放から帰国事業までの時代を描いた。上映終了後、場内では涙をぬぐう姿も見られた

▼朝鮮のスタッフ、キャストが国内で撮影を行った。反響はさまざまであろう。作品としての評価だけではない。場内には、脚色されない過去を自ら体験した人たちがいる。映画を通じて、在日朝鮮人の歴史を学ぶ人たちもいるだろう。世代によって見方、感じ方が違って当然だ

▼「歌」が流れる場面がある。祖国から送られてきた教育援助費を受け取った同胞の心情を歌詞に乗せた。総連同胞であれば、誰もが知っている「歌」だ。朝鮮の人々にとっても「総連の代表曲」として慣れ親しんだメロディー。日本の地で「解放」を迎えた1世が、なぜあれほど強く「祖国志向」を抱いたのか。映画は今日の総連運動のルーツをたどっている

▼前議長の「生き様」が映画になった。涙をぬぐった観客は、前議長と同じ時代を生き、共に活動したのかもしれない。しかし一方では、前議長の肉声を直接聞いたことがなく、スクリーンの中のイメージで理解するしかない世代がいる。歴史を積み重ねるほど、原点の確認作業は大事だ

▼25年前の合作映画「銀のかんざし」は、本紙を配達する分局長が主人公だ。現在、弊社の若い社員たちは、映画の世界をリアルタイムで体験していない世代が多数を占める。先人たちのスピリットを正しく継承することは、総連のすべての分野で取り組むべき課題だ。(永)

[朝鮮新報 2010.1.29]