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春・夏・秋・冬

 1990年、北南高位級会談の取材でソウルに行った際、林秀卿さんの自宅を「電撃訪問」した先輩記者がいた。その前年、南の大学生代表として平壌祭典に参加し「国家保安法」違反で囚われの身となった林さんの両親に会い、「歓待」を受けた

▼記者は「北側記者団」の一員だった。林さんの自宅を訪れた「別働隊」には労働新聞の記者も含まれていた。もしも「北側記者」だけでグループを組んでいたら、監視をくぐり抜けタクシーを乗り継ぎ、ソウル市民の自宅を突然訪問するという「自由行動」が成立しただろうか。おそらく日本育ちの記者らが「引率」しなければ、スムーズな計画進行はなかったと思う

▼日本にいれば、ソウル市内の情報を事前入手することは可能だ。当時から本紙記者は日本の記者たちと交流があった。朝鮮半島情勢を伝えるため現地滞在するソウル特派員たちとも自由に話ができる

▼20年前、先輩記者の「武勇伝」を聞いたときは、一般人が経験できない「プロフェッショナルな世界」を感じたものだ。いまでは北と南、朝鮮と日本をつなぐ役割も記者という職種に限定されない。その間、発表された6.15共同宣言、朝・日平壌宣言は和解と交流を促し、普通の人々のフィールドを広げるものだ

▼民族のプライドを持ち、祖国を忘れない在日朝鮮人だからこそできることがある。朝鮮学校を「高校無償化」から外すという発想は、境界を飛び越え「共生」をアピールする「コリアン」の存在を否定するものだ。時代の流れに逆行する施政には断固反対しなければならない。(永)

[朝鮮新報 2010.3.26]