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春・夏・秋・冬

 普天間基地移設問題で喧しかったゴールデンウィーク中の日本のメディア。「最低でも県外」「沖縄県民の負担軽減」が「公約」ではなく、個人の目標だったと言ってのける首相も首相だが、この問題を政権批判の格好の材料にして飛びつくメディアの姿勢にも疑問を感じた

▼この間、首相の沖縄訪問を機に、地元の怒りの声を大々的に報じていたメディアだが、米軍基地に反対する沖縄の人たちのたたかいは、普天間移設が浮上してから始まったわけでもなく、 72年の返還後から終始一貫してさまざまな形で行われてきた

▼95年に発生した米兵による少女暴行事件がきっかけに、大規模集会など反米気運が高まった当時は、メディアもそれなりに取り上げていた。しかしその後、米軍基地に反対する沖縄の人たちの活動については、大手メディアは意識的あるいは無意識的に取り上げてこなかった。当然のことながら、沖縄だけに負担を強いている日本の異常な状態についての問題提起などなかった

▼それが今回、手のひらを返したように、沖縄県民の「痛み」や「負担」などをことさら強調。「抑止力の一言で押しつけようというのはいかがなものか」と、首相の対応を批判している。しかし、首相であれメディアであれ、そもそも「抑止力」とはどこに対する、どのようなものを想定しているのかも、最近の報道ではよくわからない

▼沖縄戦の際、住民に銃口を向けて「集団自決」を迫り20万人の犠牲者を出した日本軍の過ちを、沖縄の人々は「抑止力」の一言で許すはずもないだろう。(国)

[朝鮮新報 2010.5.6]