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目に見える物がすべてではない。しかし、「目に見える物」、それ自体をすべて疑っていてはきりがない ▼訪朝した日本のある新聞社の記者が、撮影してきた写真を本社で提出したところ、「お前は騙されている」「これは全部作りものだ」と掲載を拒否されたそうだ。写真は、工場や農場、車中や散歩道に撮影した市内の風景など数百枚。「世界のどこでも見られるような生活的な写真ばかり」だという。「朝鮮にも人々の暮らしがあり、喜怒哀楽があり、人々が力強く生きていることを伝えたかった」 ▼しかし、彼の上司いわく、「すべて嘘」。カメラを向けられ照れくさそうに作業する農場員、路肩に腰を下ろしてタバコをくゆらす労働者、商品をめぐって小競り合いをする主婦たち、そんな喜怒哀楽のすべてが、「記者が来るから」という理由で「作られた」「用意された」ものなのだという。呆れて反論する気力も失ったそうだ ▼その新聞社は、週刊誌でさえ掲載を躊躇するような怪情報を鵜呑みにし、誤報を連発し世界の笑い種になった。平壌に行ったことのない上司が、平壌に行ったことのない記者のソウル発、北京発などの虚報を信じ、現場を取材した生の情報を否定する。迷走する紙面の裏側にはいつもこんなやりとりがあるのだろうか ▼同行したある日本人は「あれが作り物ならハリウッドも真っ青」と一蹴。取材規制や写真の検閲がいっさいなかったことも証言した。結局、楽しそうに談笑する少女たちの写真が掲載された。子どもたちの笑顔だけは否定できなかったようだ。(天) [朝鮮新報 2010.6.21] |