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ケガや腹痛などに苦しんでいる子どもが母親に患部をなでてもらうと、痛みが治まったのか落ち着きを取り戻すことがある。朝鮮学校で教員や保育士が子どもと接する時も、これと似たような場面をよく見かける ▼朝鮮学校の生徒と日本学校に通う同胞の生徒が一堂に参加して行われたあるキャンプを取材した。初対面の子どもたちが多く、初めは緊張した雰囲気に包まれていたが、教員が楽しく場を仕切ると、子どもたちの表情がたちまち緩んだ。「さすがプロ」と、同席した朝高生は驚いていた ▼とはいえ、これが同胞と日本人や外国人などの交流の場合だと、打ち解けるのに多少時間がかかるとある教員は教えてくれた。子どもたちは幼いながらも、「同胞同士」であることを感じ取っているのだろうか。親子の場合と同様、理屈では理解しにくいつながりがあるようだ ▼「高校無償化」問題をはじめ民族教育の制度的保障に関する議論で、朝鮮学校など一部の外国人学校の教員が日本の教員免許を持っていないことを排除の根拠付けに悪用する主張がある。まさに本末転倒。教育職員免許法や学校教育法を都合よく「解釈」した詭弁にすぎない ▼祖国の分断状況、在日朝鮮人の複雑な歴史的背景を理解し、真の民族性を養うには、朝鮮大学校を卒業した複眼的な視野を持つ教員による教育を受けるのが一番の近道。多文化教育が劣る日本の教育だけでは決して養われない。それでも免許取得を求めるのなら、文部科学省が実績ある朝鮮大学校を認定すべきだ。さもなくば、現状に即し根本的に法改正するのが筋ではないか。(天) [朝鮮新報 2010.8.24] |