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春・夏・秋・冬

 米ハーバード大のサンデル教授の講義が話題だ。哲学的な問題に関心を引きつける演出がうまい。想像しやすい具体的な事例を入口にして、哲学的な思考、抽象化された議論へと導いていく。哲学が注目されるのは大歓迎だ。ただ、哲学をかじった者としては歯がゆくもある

▼形式自体は新しい訳ではない。大学で哲学を学ぶ場合、過去から現代に至る哲学者たちの主張や議論の推移を知識として学ぶと同時に、「哲学する」ことが求められる。例えば「人を殺してはいけない」という主張を考える時、「誰かを守るためなら?」「大勢を救えるなら?」「大悪党なら?」と、あらゆるケースを考え尽くして態度を示すよう訓練される

▼こうした「思考実験」「概念的思考」が学問を発展させてきた。その自負があるからこそ、哲学者たちは嘆き妬んでもいる。「哲学から遠ざかっているからサンデル教授の講義が新鮮に感じるのだろう」と

▼教授は「普段から語り合うことが重要」と説く。自分の考えを伝え、人の意見に耳を傾け、思考を深めること。そうした人間特有の営みを活発化することで、自由主義や市場主義が幅を利かせる社会に一石を投じてもいる

▼東大での特別講義で教授は「今の日本人は1930年代からの行為で東アジアに謝罪すべきか」と投げかけた。会場の意見は「真っ二つに」割れた。弱者の声を握りつぶす日本の政治やメディアの現状を思うと、紳士的に議論する学生たちの姿は頼もしい。ただ、この議論が最も白熱したというから、日本の過去清算を考えると悲しい現実でもある。(天)

[朝鮮新報 2010.9.6]