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「表紙の交代」−親米一辺倒は転落の道

 あまりにも、都合のいい話ではないか。岡田外相は4日、01年の情報公開法施行前に核持ち込みなどの日米密約に関する文書が破棄された可能性を認める調査報告書を公表した。「仮に廃棄・紛失したならば極めて遺憾だ。文書を失うことは歴史を失うことだ」(外相)というなら、誰が何の目的で破棄したか、厳しく追及すべきであろう。

 日本の対米協力は、例えていえば、米国がイラク戦争を始めれば、すかさず支持を表明し、「大量破壊兵器」の製造・破壊・隠匿の証拠もないのに、米国があるといえば、あるといい、米国がイラクを征伐したいと思えば、率先して協力する親分・子分の関係である。まさに、親米=反共であれば、すべてが許される日本国家の本質が、この「日米密約文書破棄」事件に集約されている。「冷戦の論理は、腐敗の論理である。『反共』でありさえすれば、何をしようとかまわない」(故加藤周一さん)半世紀のゆがみ。

 さて、菅新首相が就任した。これ以上「恥をさらさないで」(ワシントン・ポスト紙)などと辛辣な批判を受けての出帆となった。

 沖縄の人々の心を弄び、迷走のあげく元の鞘に戻った辺野古合意、戦争熱をあおる李明博政権への肩入れなど対米追従外交に何の変化も見られない。「表紙」を一時的に代えても、米日韓一緒に泥沼に転落する道は避けられそうもないようだ。

 かつて菅首相は、市民運動に汗を流し、アジア重視を口にしたこともあるという。ならば、ヒトラーに臣従した過去を徹底的に批判したドイツが今や米国の権力や権威に臣従しようとしない姿こそ、お手本にすべきではないか。少なくとも、米国のポチ・李明博政権と心中するのはやめた方がいい。(粉)

[朝鮮新報 2010.6.11]