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醜い「開き直り」−独島、尖閣諸島

 独島問題、尖閣諸島をめぐって、またぞろ、日本帝国主義の亡霊がうごめいている。いずれも、19世紀末〜20世紀初頭にかけて、日本が東アジアへの侵略を強化する過程で強奪したものである。それを日本政府、メディアがあげて「日本固有の領土」と騒ぎ立てている。まったく「厚顔無恥」としか言いようがない。

 歴史の鏡で、自らのふるまいを照らしてみよ。かつて、塗炭の苦しみを強いられた朝鮮や中国の民衆がなぜ、これほど怒っているのかを。

 本紙の連載「植民地支配100年と日本文学」(李英哲・朝大准教授)によれば、芥川龍之介は関東大震災の翌年(1924年)に発表した作品の中で、「小児と大差のない日本男児に教える歴史」は粉飾に満ちていると書いた。朝鮮人大虐殺などの国家犯罪について、同時代に生きた作家として書かずにはいられなかったのであろう。

 しかし今、日本にはこうした良心の声がほとんど聞こえない。数年前、来日中だったフランスの哲学者アラン・ブロッサ教授は、靖国問題をめぐる小泉首相(当時)の態度を、「何で僕だけが悪いの」と駄々をこねる「手の施しようがない小児病」だと批判した。独島、尖閣諸島問題も同じだ。開き直るのではなく、まず、ゆがんだ歴史観を捨て去らなければ、その野望と膨張主義にアジアの警戒感は強まるばかりだ。(粉)

[朝鮮新報 2010.10.16]