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民族とジェンダーの交叉点

 忘れられない話がある。レイシズム(人種主義・人種差別主義)をテーマに、ある方がご自身の体験を話されたときのものである。

 その方は日本学校にも朝鮮学校にも通った経験があり、それゆえセーラー服でもチマ・チョゴリでも通学経験があったそうだ。彼女はこう言った。

 「セーラー服を着ているときとチマ・チョゴリを着ているときとで、痴漢の態度が違うんですよ」

 最初は笑顔で気丈に話していた彼女の顔が、だんだんとゆがんでいった。

 「セーラー服だとね、やめてくださいっていうと痴漢はすぐに手を引っ込めるの。でもね、チマ・チョゴリだと、やめないのよ。むしろ奇妙な顔で笑いながら触り続けるの。彼ら、相手が朝鮮人だと、自分が悪いことをしているとか、通報されて捕まるかもしれないとか思わないのね。トイレに逃げ込んでも、私が出るまでずっと待っていた奴もいたわ」

 私はその状況を想像しながら、途端に気持ち悪くなって吐きそうになった。日本人の朝鮮人に対する凄まじいまでの蔑視感を思い、また、その被害がもっとも及ぶのが女性であることを思った。めまいがした。

 「いまだにわからないんですよ。私が朝鮮人だからそんな目に遭ったのか、それとも女だからそんな目に遭ったのか」

 「韓国併合」100年を迎えた今年、いろいろと内外が喧しい。しかし、問われるべきは民族の問題のみではない。このようにもっとも無残なカタチで現れる現象を分析するためにこそ、ジェンダーの視点は不可欠であると思う。(金優綺、団体職員)

[朝鮮新報 2010.5.14]