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負けず嫌い

 私は、自他ともに認める「負けず嫌い」である。保育園の駆けっこから大学の勉強まで、友人にも兄弟にも、なんでも人に負けるのが嫌いだった。そんな私と比べ、妹は謙虚で、駆けっこで負けても私に蹴落とされても(表現の一つである。なにも実際に蹴ったことは…ない)、いつも穏やかでニコニコと笑っている。私はそんな妹が信じられなかった。

 妹は母に似ているらしい。母も幼いころから人と勝ち負けを争うことを好まず、競争や争奪戦になると、いつも自ら身を引いていたという。

 しかし母は言っていた。母も妹も本当は人一倍負けず嫌いで、その負けを経験したくないから、競争に参加しなかったのかもしれないと。

 最近は学校でも、子どものころから熾烈な競争によって負けを経験させたり、人との敵対心を育てるのはよくないとかで、運動会の徒競争がなくなったり、テストの点数の公開をプライバシーの侵害だとすることがあるそうだ。

 私はこのように「負け」を経験しない子どもたちを、「負け」ばかり経験している子どもたちより、かわいそうだと思う。人に負けてこそ、自分にはない、その人の良さがわかるし、人に勝ってこそ、自分に自信が持て、人にやさしくなれる。

 実は私は、妹や弟との「競争」ではいつも完敗である。私にはない素晴らしさを、彼らは無数に持っている。だからこそ私は、彼らに誇りが持て、また彼らと「競争」したいと思うのだ。(金賢雅、朝大研究院生)

[朝鮮新報 2010.10.29]