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「学ぶ」ということ

 「学習」と「習得」は異なると述べた学者がいた。前者は意図的に知識を獲得しようとすることで、後者はほとんど無意識で知識を身につけることだという。さらに、「学習」はほとんど意味を持たず、「習得」した知識のみが人間の脳に残るので、「習得」がより重要だとも。テストのために覚えた英単語や数式を、いざテストが終わってみるとすべて忘れてしまったという体験がそれを物語っているようだ。

 しかし、私はウリハッキョで学ぶ子どもたちを見て、そうではないと思った。彼らは「知りたい」と思い、興味を持ったことなら熱心に取り組む。授業で習ったことや友だちが話していたことなど、いろんな話を家に帰って得意気に話す。そして家でアボジやオモニが教えてくれたことを翌日に学校でまた友だちに話す。子どもたちのこういった活動は一見単純で、一つひとつがただ独立したもののように思えるが、実はすべてつながっていると私は思っている。

 大学院受験の時、オモニが手紙に「一を見て十を知り、百を感じて千を考えられる人になりなさい」と書いてくれた。私はこの言葉を、より多くを学びなさいというよりも、一から千を知ろうと欲張るのではなく、一つずつを丁寧に学び、それをつなげていくことが大切だと受け取った。

 意図的にでも自然にでも、今日学んだことを未来に直接役立てようと躍起になるのではなく、今日聞いたことを明日言えるようになり、明日学んだことを明後日自分でできるようになることが大切なのではないだろうか。(金賢雅、朝大研究院生)

[朝鮮新報 2010.12.10]