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〈あの日、トンポたち 総連全盛期の記録〉 7.4共同声明で歓喜

1972年7月5日付の朝鮮新報

 北と南が厳しく対峙していた1972年当時、自主、平和、民族大団結をうたった7・4南北共同声明の発表は、想像もつかない突然の出来事であった。

 朝鮮労働党の金英柱組織指導部長と南朝鮮の李厚洛中央情報部長による南北高位級会談は極秘裏に推進された。金日成主席と朴正煕大統領はそれぞれの「密使」と面会していた。このような事実は、7.4共同声明発表のときまで知らされなかった。

 7月4日の午前10時に平壌とソウルで重大発表が同時になされるとだけ予告されていた。多くの在日同胞が「その時」を待った。そして、またたくまに同胞社会は統一の熱気に包まれた。

 当時の同胞たちの歓喜は、本紙紙面を通じてもふつふつと伝わってくる。

 発表翌日の朝鮮新報は当時としては異例の2色(黒と赤)刷り。1面は声明全文などを、2面は「南北間に統一の大扉が開かれ始めた」という大見出しで関連ニュースを伝えた。その後は各地で相次ぐ声明支持大会の様子や「衝撃的だった。このような日がこんなにも早く来るとは思っていなかった」「祖国統一の日はそう遠くないという確信を抱いている」などと語る同胞の声を掲載している。

 同胞たちは総連支部・分会や学校、飲食店に集まった。多くの総連支部では録音した平壌放送を聴く会を開いた。ある同胞は感涙にむせび、ある同胞は統一祖国の未来像を語りながら夜を明かしたという。

総連、民団の2500人が参加した東京・大田地域同胞の声明支持大会(7月23日、大田区民会館)

 声明発表と同時に、同胞の間では、思想や所属団体の違いを超えて団結し、祖国の自主的平和統一に貢献しようという機運が一気に高まった。

 総連中央の韓徳銖議長は、7月4日の午前11時から記者会見を開き、民団傘下の同胞との民族的団結を強化して祖国統一を早めるため全力を尽くすことを表明すると同時に、民団に声明支持歓迎大会の共催を提起した。各地で開かれた7.4南北共同声明支持集会には、総連だけでなく多くの民団傘下の同胞らも参加した。

 本紙7月14日付は、三重県在住の民団幹部の次のような言葉を紹介している。

 「総連幹部との間に信頼と尊重関係を確立し、祖国統一に貢献する方途を論議すべきだ。民団中央は総連との接触と対話を拒否する習性をただし、在日同胞の中にある壁を取り除くため力を合わせるべきだ」

 当時、総連では南朝鮮からの米軍撤退を要求する運動が盛んに行われていた。声明発表後、デモや集会などはよりいっそう力強く展開された。

 一方、日本の各界人士も声明に対する支持を表明し、各地で朝・日友好運動がさらに活発化した。

 このように祖国の平和統一への兆しは、在日同胞社会に夢と希望そして大きな活力を与えた。(姜)

[朝鮮新報 2011.1.12]